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ビクトル・ルベン・ロッソ(Victor Rubén Rosso、1960年10月16日 ー )は、1978年から2012年までモータースポーツで活躍した、アルゼンチンのレーシングドライバー。
2012年に現役を引退したが、彼は現在もチームプリンシパルとしてモータースポーツに携わっている。ロッソは、日本でも活躍した経験も持つ。ビクターと表記なされる場合もある。
12歳から母国でレーシングカートのレースに出場し始めた。18歳の時に4輪レースにステップアップし、1980年のアルゼンチン・フォーミュラ・ルノーのチャンピオンを獲得。
1981年にイギリスに渡り、フォーミュラ・フォードに参戦。イギリスF3選手権へとステップアップするが、参戦資金の問題で一時アルゼンチンへと戻った[1]。
再度ヨーロッパでの挑戦を望み、今度はドイツへと渡る。1985年にドイツ・フォーミュラ・フォード2000で5勝を挙げチャンピオンを獲得。なおランキング4位にベルント・シュナイダー、同9位にハインツ=ハラルド・フレンツェンも参戦していた。
1986年からドイツF3選手権へとステップアップし、クリス・ニッセンとチャンピオン争いを展開、しかしロッソは2勝を挙げたもののリタイヤが多く、ランキング3位となった。
1987年、ヨーロッパF3選手権にエントリーし、ランキング2位を獲得。同ランク3位のジョニー・ハーバートとの争いに勝ってのランク2位獲得であった(同ランキング5位はローランド・ラッツェンバーガー、6位ベルトラン・ガショー)。
1990年にトムスと契約し来日。トムス・トヨタの開発ドライバーとして全日本F3選手権に参戦。初年度はトヨタ・3S-Gエンジンの熟成・開発がメインとなった。1991年になるとトムスが新型シャシーを実戦投入し3S-Gエンジンを搭載、それまで無限・MF204エンジンが圧勝していた同選手権にチームメイトのパウロ・カーカッシと共にトムス・トヨタ旋風を起こし、カーカッシがチャンピオンを獲得、ロッソも2勝を挙げランキング4位を獲得した。全日本ツーリングカー選手権にもトヨタ車で参戦した。
年 | エントラント | シャシー | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986年 | Schübel Rennsport Int. | ダラーラ・F386 | VW | A | ZOL Ret |
WUN Ret |
HOC Ret |
NOR 1 |
ERD Ret |
ÖST 1 |
NÜR 2 |
ZOL2 2 |
NÜR2 3 |
SAL 3 |
NÜR3 Ret |
3位 | 94 | |
1987年 | VWモータースポーツ | ラルト・RT31 | A | NÜR 4 |
AVU 2 |
ZOL Ret |
HOC Ret |
ÖST 3 |
SIE 8 |
NÜR2 3 |
NÜR3 5 |
ZOL2 Ret |
4位 | 60 | ||||
1988年 | HCヘッセル・モータースポーツ | ベルタ・88/002 | ルノー | A | ZOL | HOC | NÜR | BRN | HOC2 | MAI | NOR | WUN | SAL 22 |
NÜR2 Ret |
HUN | HOC3 | 50位 | 0 |
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