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パッカードベル(Packard Bell )は、アメリカで創業し、2008年時点ではオランダに本社を置いた電気機器メーカー。2007年にエイサーに買収され、独立した企業としては消滅した。
名称よりヒューレット・パッカード(コンピュータメーカー)やパシフィック・ベル(電話会社)と混同ないしグループ企業と誤認されることが多いが、これらとは無関係である。
1933年にロサンゼルスで無線機器メーカーとして創業し、テレビやラジオの製造にも進出したが1968年にテレダインに買収されて同社の一部門となった。
1986年にベニー・アラジェムらの投資家グループがテレダインの家電部門を買収し、1990年代前半より低価格のパーソナルコンピュータ(PC)の販売で攻勢を仕掛ける。高級路線のIBMやコンパックに対し、低価格路線の店頭販売で一時は米国内でシェア2位にまで登り詰めたが、直販のデル、ゲートウェイの低価格PC参入などで収益が悪化した。日本では、1994年、デスクトップとして PB440M/6(ISAx4スロット,486DX2-66MHz)、ノートパソコンとして PB486Note/m(モノクロ液晶,486SX-25MHz) などを販売した(販売代理店は千葉電子株式会社)[1]。
1995年、日本でPC-9800シリーズからPC/AT互換機への切り替えが課題となっていた日本電気(NEC)が資本参加し、1996年7月には日本電気の海外部門と合併してパッカードベルNECとなった[2]。また、同年10月に日本法人のパッカードベルNECジャパンを設立した[3]。この戦略はNECにとって上記の日本でのAT互換機対応の他、ほとんどシェアのなかった海外(特に北米)PC市場への進出を企図したものであった。
日本ではパッカードベルNECのPCは主にダイエーや家電量販店、ネット通販で販売されたが振るわず、NEC本体も1997年発売のPC98-NXシリーズ以降はPC/AT互換機への切り替えが進んでパッカードベルNECの存在意義が薄れた。一方、上記の通り米国内のシェアは年々低下し、NEC本社からの度重なる金融支援にもかかわらず業績は好転せず、繰り返される支援を「年中行事」と揶揄されるほどだった[4]。
1998年7月には完全子会社化して[5]事業の回復を図ったが、日本法人はPC98-NXシリーズ(Avanza NX)のダイレクト販売への転換を経て1999年6月に解散[6]。米国でもこの年eMachinesのフリーPCが登場してからはほとんど売れなくなり、NECは同年11月に年内での工場閉鎖を含むリストラ策を発表、米国でも2000年にPC事業から撤退するとともに社名を「NECコンピューターズ」に変更した[4]。以降はヨーロッパ市場でオランダに本社を置いてPC事業を継続するのみであり、パッカードベルはチリ・ヨーロッパ・アジア・太平洋地域の一部(日本は含まれない)でのブランド名として残るだけであった。
2006年10月16日には、株式をeMachines(現ゲートウェイ)創業者のラップ・シュン・ヒュイへ売却した。これにより、NECグループからパッカードベルブランドが完全に消滅した[7]。
現在は欧米市場でデジタルオーディオプレーヤーなどを中心に製造を行っている。
2007年10月、パッカードベルは台湾のパソコンメーカーエイサーにより買収されることが発表された。
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