バイエルン=インゴルシュタット公国(ドイツ語: Bayern-Ingolstadt あるいは Oberbayern-Ingolstadt)は、1392年から1447年まで神聖ローマ帝国に存在した領邦国家。
上バイエルン=インゴルシュタット公国 | |||||
Teilherzogtum Bayern-Ingolstadt | |||||
封臣 | |||||
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バイエルン=インゴルシュタット (1392年–1447年) | |||||
首都 | インゴルシュタット | ||||
政府 | 君主制 | ||||
バイエルン=インゴルシュタット公 | |||||
• | 1392年–1413年 | シュテファン3世 | |||
• | 1413年–1447年 | ルートヴィヒ7世 | |||
• | 1443年–1445年 | ルートヴィヒ8世 | |||
歴史・時代 | 中世 | ||||
• | バイエルン=ランツフート公国分割 | 1392年 | |||
• | ルートヴィヒ7世が、いとこのバイエルン・ランツフート公ハインリヒ16世に捕らわれる。 | 1443年 | |||
• | バイエルン=ランツフート公国に併合される。 | 1447年1447年 | |||
歴史
1375年のシュテファン2世の死後、シュテファン3世、フリードリヒ、ヨハン2世の3人の息子がバイエルン=ランツフート公国を共同統治した。17年後、兄弟は公に遺領の分割を決定した。ヨハン2世がバイエルン=ミュンヘン公国を、シュテファンがバイエルン=インゴルシュタット公国を新たに創設、フリードリヒが引き続きバイエルン=ランツフート公国を統治した。
1413年にシュテファン3世が死ぬと、ルートヴィヒ7世は父の位を継承した。1429年にバイエルン=シュトラウビングがバイエルン=インゴルシュタット公国に合併された。ルートヴィヒ7世の治世は、息子のルートヴィヒ8世が1443年に簒奪するまで続いた。ルートヴィヒ7世の身柄はバイエルン=ラントフーツ公ハインリヒ16世のもとに送られた。ルートヴィヒ8世は一連の政変ののち2年後に没した。またルートヴィヒ7世は囚われの身となった。はたして後継者がいなくなったバイエルン=インゴルシュタット公国はバイエルン=ランツフート公国に編入された。
地理
バイエルン=インゴルシュタット公国はバイエルンの多様な飛び地からなっていた。首都はインゴルシュタットに置かれ、それにはシュローベンハウゼン、アイハッハ、フリートベルク、ライン・アム・レヒおよびヘッヘシュテット・アン・デア・ドナウが含まれていた。加えて、バイエルン=インゴルシュタット公国は以下の都市を含んでいた。
- 南バイエルン:
- 東バイエルン:
- シェルディング
- ディンゴルフィング
- マラースドルフ=プファフェンベルク
- 北バイエルン:
- ヒルポルトシュタイン
- ヘルスブルック
- ラウフ・アン・デア・ペグニッツ
- ヴァイデン・イン・デア・オーパープファルツ
- ヴァルトミュンヘン
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