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ハーヴィー・フークワ(Harvey Fuqua, 1929年7月27日 - 2010年7月6日)は、アメリカのリズム&ブルース・シンガー、ソングライター、レコードプロデューサー、レコードレーベルの重役。
R&B / ドゥーワップのグループ「ムーングロウズ」を 1950年代にひきいた。当時のヒット曲に
などがある。 バリトン担当のハーヴィー・フークァの歌声はブルージーで軽快であり、「シー・ソー」や「マスカレード・イズ・オーバー」といったロックンロール風の曲、「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」等のブルース風の曲でリードをとっている。やがてフークァが本格的にリードを取るようになってから録音した「恋の十戒」で、そのブルージーさが受ける。
その後、ミシガン州デトロイトのモータウンの大物の一人となり、彼のグループはマーヴィン・ゲイに音楽のキャリアをスタートさせた。当時の妻グウェン・ゴーディと彼のレーベル「アンナ・レコード」は、モータウンの最初の大ヒットシングル、バレット・ストロングの「マネー」を配給した。フークアは後にグウェンの弟ベリー・ゴーディにアンナ・レコードを売り、モータウンのソングライター兼重役となった。
インク・スポッツの構成員チャーリー・フュークアの甥であり、映画監督アントワーン・フークアの叔父である。
1971年にモータウンを去りRCAレコードと契約し、バンドNew Birthで成功。SylvesterやTwo Tons O' Fun(The Weather Girls)などでディスコ・ヒットを放つ。Sylvester「Dance (Disco Heat)」「You Make Me Feel (Mighty Real)」(1978)やアルバム『Stars』(1979)が売れた。
また、スモーキー・ロビンソンのツアー・マネージャーも務め、1982年にデンマークに隠遁中のマーヴィン・ゲイと再会し、彼の復活アルバム『Midnight Love』を制作し、ドラムマシンTR-808を使ったシングル「Sexual Healing」が歴史的成功を収めた。
2000年にレーベル「Resurging Artist Records」を設立。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』サントラのMFSB「K-Jee」の共作者でもある。[1]
発売年 | A面 | B面 | レーベル、番号 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1959 | "I Want Somebody" | "Da Da Goo Goo" | Chess 1713 | |
1959 | "Twelve Months Of the Year" | "Don't Be Afraid Of Love" | Chess 1725 | |
1960 | "Blue Skies" | "Ooh, Ouch, Stop" | Chess 1748 | |
1960 | "If I Can't Have You" | "My Heart Cries" | Chess 1760 | エタ・ジェームズとの共演 |
1960 | "Spoonful" | "It's a Cryin' Shame" | Chess 1771 | エタ・ジェームズとの共演 |
1961 | "The First Time" | "Mama" | Chess 1781 | |
1962 | "What Can You Do Now" | "Will I Do" | Harvey 121 | Duet with Ann Bogan |
1962 | "Any Way You Wanta" | "She Loves Me So" | Tri-Phi 1017 | |
1963 | "Memories Of You" | "Come On and Answer Me" | Tri-Phi 1024 |
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