ドイツの指揮者 ウィキペディアから
ハルトムート・へンヒェン (Hartmut Haenchen、1943年3月21日 ドレスデン - ) は、ドイツの指揮者であり、オペラ指揮者としても世界の主要オペラハウスで活躍する。カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの音楽の専門家として知られる。
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1943年、ドレスデン生まれ。音楽家としてのキャリアは、ドレスデン聖十字架合唱団のメンバーとなったことから始まった。15歳の時にはすでにカントル (教会音楽家、ドイツ語名称kantor) として指揮台に立っていた。17歳の彼は、ヨハン・アドルフ・ハッセのレクイエムを復活させたことにより幅広い注目を集めた。その後ドレスデン音楽大学に入学し、指揮と声楽を学ぶ。在学中、オーストリアのカリンティア夏の音楽祭やベルリンでマスタークラスに参加。また、バイロイト音楽祭にてリハーサルなどに参加し、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮するコンサートにも立会う。
1966年、初めての音楽監督としての契約をハレ市の合唱団(ドイツ語: Robert-Franz-Singakademie)と結ぶ。また、指揮としての契約をハレ・フィルハーモニックオーケストラと結ぶ。1989年から2014年までカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ室内管弦楽団を率いる。
1972年から1973年にかけてツヴィッカウ劇場(Zwickau Theater)の首席指揮者を務める。この時期にベルリン国立歌劇場でムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」を指揮してデビューを果たす。1986年まで彼はそこで定期的に公演を行なった。1973年から1976年までドレスデン フィルハーモニックの指揮者を務め、ドレスデンの州立歌劇場ゼンパー・オーパーで客員指揮者としても定期的に登場する。1976年から1979年の間は、シュヴェリーン市のシンフォニーオーケストラ(Mecklenburgische Staatskapelle)と州立劇場の音楽監督を務め、それに続きベルリン・コーミッシェ・オーパーで定期的に出演し始めた。
1980年にベルリンのカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ室内管弦楽団の芸術監督に就任。1986年、ヘインヒェンはアムステルダムの国立オペラ座 De Nationale Opera (DNO) の音楽監督、オランダ・フィルハーモニー管弦楽団、オランダ室内管弦楽団の主席指揮者に就任。彼のアムステルダム在任中に DNOは高質の共同製作と革新的なステージ設定で知られ るようになる。ヘンヒェンは特にリヒャルト・シュトラウス、モーツァルト、 ヴァーグナーなどのドイツ系レパートリーと関連付けられるが、ヴェルディ、バルトーク、チャイコフスキー、プッチーニ、グルックなどのオペラも多く手がけた。1999年に ヴァーグナーの「指環」の全公演を終えてこのポストを去るが、その後は 客員指揮者として継続して行くことになる。新たに形成されたオランダ・フィルハーモニー管弦楽団は彼のリーダーシップ のもとで、オペラ公演だけでな交響曲の公演、録音、外国ツアーと急速な発展を遂げた。2002年9月、予算削減に抗議し彼はポストを辞任した。
2016年と2017年の夏にバイロイト音楽祭にて「パルシファル」を公演。
ヘンヒェンは、ほぼ全てのヨーロッパ諸国から依頼を受け数多く公演をし、日本、アメリカ、カナダではツアーも行う。オペラの公演はアムステルダム、ボローニャ、ジュネーヴ、イェルサレム、ロンドン、ミュンヘン、ニューヨーク、シュトゥットガルト、ワルシャワ、ウィーン、ヴィースバーデン、ベルリン、ドレスデン、コペンハーゲン、ミラノ、パリ、マドリードにおよぶ。
彼がロンドンのロイヤルオペラハウスで演出と指揮を手がけたた二つの新作はローレンス・オリヴィエール賞に選抜された。
定期刊行誌オペルンヴェルト(Opernwelt)は、世界中50人のジャーナリストの投票に 基づきヘンヒェンをConductor of the Year 2017 (2017年最高の指揮者)に選 ぶ。
(136枚の CD もしくは DVD から年代順に選抜)[1]
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