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1903-1991, 写真家 ウィキペディアから
ハナヤ勘兵衛(はなや かんべい、または、はなや かんべえ、1903年1月12日 - 1991年5月15日)は、日本の写真家。本名は桑田和雄[1][2]。
1903年に大阪市西区江戸堀で生まれる。大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)を卒業後、写真家になるために上海に渡り、その後香港やシンガポールにも渡る。1927年に帰国後、玉子と結婚[2]。1929年に芦屋で写真材料店を開き、「ハナヤ勘兵衛」と名乗るようになった[2]。
1930年に、中山岩太が中心となり結成された「芦屋カメラクラブ」に紅谷吉之助、高麗清治らとともに参加し、関西での新興写真運動の中心的存在の一人として活躍[1]。その作品には、多重露光やフォトモンタージュを駆使したものが多く、強烈なモダニズムを感じさせ、1932年に創刊された雑誌『光画』にも、その作品が掲載された[1]。当時の作品は、船に取材する機械美を追求したものや、フォトモンタージュによって近代都市を捉えるものがあった[1]。また、戦後も活動を続け後進を多く育てた[2]。
ハナヤ勘兵衛はもともと「桑田商会」という写真材料商を芦屋で営んでいたが、この会社は「株式会社ハナヤ勘兵衛」と名称を変え、現在も兵庫県芦屋市で営業を続けている[3]。ちなみに、現在は、写真材料販売のみならず、写真撮影、プリント、暗室処理、暗室レンタルなども行っている[3]。
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