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ハドリアヌス5世(Hadrianus V, 1210年/1220年 - 1276年8月18日)は、ローマ教皇(在位:1276年)。本名はオットボノ・フィエスキ(Ottobono Fieschi)。インノケンティウス4世の甥に当たる。
ハドリアヌス5世 | |
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第186代 ローマ教皇 | |
教皇就任 | 1276年7月11日 |
教皇離任 | 1276年8月18日 |
先代 | インノケンティウス5世 |
次代 | ヨハネス21世 |
個人情報 | |
出生 |
1210年から1220年 ジェノヴァ共和国 ジェノヴァ |
死去 |
1276年8月18日 教皇領 ヴィテルボ |
その他のハドリアヌス (曖昧さ回避) |
叔父によって助祭枢機卿に任命され、1265年にクレメンス4世と交代してイングランドの教皇使節に就任、インノケンティウス5世亡き後の教皇に選出された。グレゴリウス10世が定めたコンクラーヴェの制度を一時破棄したが、ヴィテルボに移ってそこで死去。在位は1か月に過ぎなかった。その後、ヨハネス21世が選出された。
ダンテ・アリギエーリの『神曲』では貪欲のために煉獄で罪を償うハドリアヌス5世が書かれている。
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