ノイア
スペインの町 ウィキペディアから
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ノイア(ガリシア語: Noia)は、スペイン、ガリシア州、ア・コルーニャ県の港町。コマルカ・デ・ノイアの中心自治体。ガリシア統計局によると、2010年の人口は14,947人(2009年:14,970人、2007年:14,808人、2006年:14,702人、2005年:14,637人)[1]。住民呼称はnoiés/noiesa。カスティーリャ語表記はNoya。
ガリシア語話者の自治体人口に占める割合は60.58%(2011年)。
ノイアの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[5]、1996年 - [6] |
この地域の最初の定住者は、タンブレ川とトラバ川の河口付近に、およそ5000年前であったと考えられる。この時代の巨石遺跡としてアルガーロ教区にドルメンが残されている。カストロ文化時代のものとしては、バルキーニャのカストロ遺跡が残されている。ローマ時代には前述の2つの川に橋がかけられ、この橋は中世には修復されたものの、現在は残ってない。
中世には、港はサンティアゴ教区に属するこの町の経済的発展に寄与した。14世紀には、市壁、タパルの城塞、病院、多くの教会が整備されるなど、ほぼ現在の町の外観が作られた。
世俗領主と大司教との間でしばしば対立が起き、イルマンディーニョの戦いでは、農民たちによってタパル城塞が破壊された。最終的に世俗領主側が勝利をおさめると、反乱者たちに塔と城の再建を命じた。
16世紀には経済、文化が復興し、多くの建築物がたてられ、また多くの家畜の見本市が催された。1585年、スペイン国王フェリペ2世は戦費調達のために町を、ジェノバ商人に売り渡し、このことによってノイアは衰退し始め、この状況は17世紀まで続いた。
自治体首長はガリシア社会主義者党(PSdeG)のラファエル・ガルシーア・ゲレーロ(Rafael García Guerrero)[7]、自治体評議員はガリシア国民党(PPdeG):7、ガリシア社会主義者党:6、ガリシア民族主義ブロック(BNG):2となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[8]。
首長当選者:ラファエル・ガルシーア・ゲレーロ(PSdeG) |
首長当選者:アントーニオ・ペレス・インスーア(PPdeG) |
首長当選者:ラファエル・ガルシーア・ゲレーロ(PSdeG) |
首長当選者:ラファエル・ガルシーア・ゲレーロ(PSdeG) |
ノイアは6の教区に分けられる。
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