ヌサルグ=モワサック
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ヌサルグ=モワサック (Neussargues-Moissac、オック語オーヴェルニュ方言:Nussargue)は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、カンタル県の旧コミューン。
Neussargues-Moissac | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | カンタル県 |
郡 (arrondissement) | サン=フルール郡 |
小郡 (canton) | ミュラ小郡 |
INSEEコード | 15141 |
郵便番号 | 15170 |
市長(任期) |
ジスレーヌ・プラデル (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays de Murat |
人口動態 | |
人口 |
977人 (2011年) |
人口密度 | 72人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯45度07分45秒 東経2度58分37秒 |
標高 |
平均:m 最低:738 m 最高:1022 m |
面積 | 13.62km2 |
2016年12月1日、セル、シャリナルグ、シャヴァニャック、サンタナスタジーと合併し、コミューン・ヌーヴェル(fr)であるヌサルグ=アン=ピナテル(fr)となった。
オック語オーヴェルニュ方言でのつづりNussargueは、Nussargaのつづりを標準化したものである。モワサックはMouissaである。
セザリエ山地の麓にある小さな村である。村の近くには、450万年前に生じた巨岩、ラヴァル岩がそそりたつ。
アンシャン・レジーム時代、教区はモワサックと呼ばれていた。なぜならば、804年にモワサック修道院(現在のロット=エ=ガロンヌ県モワサックにあった)から与えられた土地に小修道院が建てられていたからである。1047年にモワサック修道院長となったのはデュラン・ド・ブルドンで、同時代にクリュニー修道院の院長を務めたのはオディロン・ド・メルクールであった[1]。
モワサック教区よりも標高が高い、キューズの崖を見下ろすところに中石器時代、新石器時代の人の隠れ家があり、非常に古くから人が定住していた。モワサックの村はガロ=ローマ時代の最古の世紀から人の交流が活発だった。メロヴィング朝時代のサルコファガスが幾層も重なる埋葬塚が、20世紀初頭に発掘された。それはバロック様式の墓地の十字架に印が残された、古い頃の十分の一税の一つであった。
1901年まで、コミューンは単にヌサルグと呼ばれていた。
ヌサルグ駅は長い間、ベジエへ向かう路線、クレルモン=フェランを経由してオーリヤックへ向かう路線など、重要な鉄道ジャンクションである。しかし今日急激に利用が減少している。
村の現在の主要産業は木炭製造、そしてプラスチック製カバンの製造、ラヴァル石近くにある採石場、チーズの工房、公営の屠殺場である。
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2011年 |
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1257 | 1252 | 1213 | 1186 | 1231 | 1030 | 980 | 977 |
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