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1964年のバルバラの曲 ウィキペディアから
「ナントに雨が降る」(ナントにあめがふる/フランス語原題:Nantes)は、フランスの楽曲。
1959年12月21日、バルバラは10年来音信の途絶えていた[1]父親:ジャック・セルフ(Jacques Serf)の死を知った。父親はパリを離れナントに移り住んでおり、市の南部に位置するサン=ジャック病院で脳腫瘍のため死去した[2][注釈 1]。
ナント最大の墓地:ミゼリコルド墓地[1]での葬儀の翌日から、バルバラは「ナントに雨が降る」の作曲を開始。4年後の1963年11月5日、カプシーヌ劇場に出演する数時間前に曲が完成した[3]。
本作はアルバム『いつ帰ってくるの』の最後に収録されている。
グランジュ・オ・ルー通りという地名(直訳:「狼のいる牧舎通り」)が父親の死の場所として歌詞に登場するが、この通りの名前は当時存在しない架空のものであった。楽曲の発表から約20年後の1986年3月22日、バルバラと俳優のジェラール・ドパルデューの立ち合いの元、グランジュ・オ・ルー通りの開通式が行われた。通りはサン=ジョゼフ・ド・ポルトゥリー地区に位置しており、バルバラの父親ジャック・セルフが亡くなったボジョワール地区のすぐ近くである[1][2][4]。さらにそれから14年後の2000年12月9日、グランジュ・オ・ルー通りの近くに、バルバラ通りが開通した。通りは歌手の彫像とフレスコ画で彩られている[1][5]。
プロ・アマチュア問わず多くの者が本作をカヴァーしている。最もバルバラのスタイルに近いピアノ弾き語りではマリー=ポール・ベルによる2001年9月11日発表のアルバム『 “chante Barbara” (マリー=ポール・ベル、バルバラを唄う)』の録音が知られている。
JASRACに於いては2018年現在、外国作品/出典:PJ (サブ出版者作品届) /作品コード 0N0-0078-5 NANTES として登録[6]。計9名の歌手が「アーティスト」とされており、バルバラの他に日本人歌手では加藤登紀子、杉田真理、若林圭子、クミコらが登録されている[6]。
出版者は、EDITIONS METROPOLITAINES 301。日本でのサブ出版[注釈 2]は日音 Synch事業部が保有している[6]。
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