ドナルド・A・ウォルハイム
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ドナルド・アレン・ウォルハイム(Donald Allen Wollheim、1914年10月1日 - 1990年11月2日)はアメリカ合衆国のSF作家・編集者・出版者・SFファンである。作品の発表はデイヴィッド・グリンネル(David Grinnell)などの名義で行なった[1]。
フューチャリアンズ(Futurians)のメンバーであった彼は、20世紀のアメリカにおけるサイエンス・フィクションとSFファンダムの発展に影響を与えた者の一人である[1]。フューチャリアンズの他の会員にはアイザック・アシモフ、フレデリック・ポール、C・M・コーンブルース、ジュディス・メリル、ジェイムズ・ブリッシュ、デーモン・ナイト、H・ビーム・パイパーらがいた。
ウォルハイムは、ヒューゴー・ガーンズバックがSFの振興のために創設したクラブの一つ、ニューヨークSF連盟(New York Science Fiction League)のメンバーであった[2]。ウォルハイムが原稿料の未払いに関してガーンズバックに対する不満を公表した時、ガーンズバックはクラブのニューヨーク部門を解散した。
ウォルハイムの最初の小説"The Man from Ariel"は「ワンダー・ストーリーズ」の1934年1月号に掲載された。当時、彼は19歳であった。ウォルハイムは原稿料を支払われなかった。そして彼が調査してみると、他にも多くの作家が原稿料を受け取っていないことが分かった。ウォルハイムはその発見をテレストリアル・ファンタサイエンス・ギルド(Terrestrial Fantascience Guild)の広報で発表した[3]。結局、ガーンズバックはウォルハイムおよび他の作家たちに対する75ドルの示談金支払いに応じた。しかしウォルハイムが別の作品を「ミラード・ヴェルヌ・ゴードン」("Millard Verne Gordon")という変名で提出すると、ガーンズバックは再び原稿料を払わなかった[4]。
彼は1952年にエイヴォン・ブックス(Avon Books)を辞めてA・A・ウィン(A. A. Wyn)のエース・ブックスに移り、1953年にはエース・ブックスからSFを刊行する手はずを整えた[1]。エース・ブックスは裏表どちらからでも読める「エース・ダブル」シリーズによって知られていた。ウォルハイムは「エース・ダブル」の書式に合わせるために原稿を改竄したり、題名を変えたりした。題名変更の例としてポール・アンダースンの"War of th Wing-Men"(エース版)と"The Man Who Counts"(復刊)が挙げられる。
1965年にウォルハイムはJ・R・R・トールキンの『指輪物語』をエースから無許可で出版した。トールキンの叙事的物語が一般向けのペイパーバックとして市場に出たのはこれが初めてであった。ウォルハイムがそうした理由は、彼がホートン・ミフリン社のハードカバーの版が、著作権を正式に宣言できていないと判断したからであった。2006年のインタヴューでウォルハイムの娘は語ったところによると、トールキンは「自分の大作はペイパーバックの『ダイジェスト』版で刊行されるべきではない」とウォルハイムを怒っていたという[5]。1993年、裁判所はエース・ブックスの主張する「著作権の抜け穴」が正しくなく、彼らのペイパーバック版が合衆国法の下でトールキンの著作権を侵害するものであるとの判決を下した[6]。
ウォルハイムはエース・ブックスを離れて1971年にDAWブックス(DAW Books)社を建てた。DAWは彼の頭文字である。この会社はSFおよびファンタジー小説を専門にした最初の商業出版社だと言われている[1]。
彼はまた、有名な「年刊ベストSF」アンソロジーを1965年から1990年まで刊行した。ただし1965年から71年まではテリー・カーとの共同編集、71年から90年の期間はアーサー・W・サハ(Arther W. Saha)との共同編集である。
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