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セルビアのサッカー選手 ウィキペディアから
ドゥシャン・バスタ(Dušan Basta, 1984年8月18日 - )は、ユーゴスラビア出身の元サッカー選手。元セルビア・モンテネグロ代表及び元セルビア代表。ポジションはDF。
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SSラツィオでのバスタ(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Dušan Basta | |||||
セルビア語 | Душан Баста | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | セルビア | |||||
生年月日 | 1984年8月18日(40歳) | |||||
出身地 | ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 ベオグラード | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (RSB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2008 | レッドスター | 97 | (3) | |||
2003-2004 | → イェディンストヴォ (loan) | 26 | (7) | |||
2008-2014 | ウディネーゼ | 105 | (9) | |||
2008-2009 | → レッチェ | 7 | (0) | |||
2014-2019 | ラツィオ | 88 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
2005-2006 | セルビア・モンテネグロ | 2 | (0) | |||
2006-2007 | セルビア U-21 | 9 | (0) | |||
2012-2018 | セルビア | 16 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
生まれ故郷パディンスカ・スケラのPKBパディンスカ・スケラの下部組織に在籍。その後、13歳の時にレッドスター・ベオグラードの下部組織へと籍を移した。
ユースチームから数名の選手と共にトップチームへ昇格し、17歳の時にプロ契約を結んだ。2008年8月の自身18歳の誕生日に、FKスチェスカ・ニクシッチ戦でデビューをし1-0で勝利した。2年目は、アレクサンダル・ルコヴィッチと共にイェディンストヴォ・ウブへレンタル移籍をし、26試合7得点を挙げた。レンタル期間終了後はレッドスターへと戻り、2005年4月に左手を負傷し5ヶ月プレー出来なかったことを除き4シーズンに渡りレギュラーを務めた。レッドスターでは97試合3得点を記録し、3つのカップ戦を含め6つのトロフィーを手に入れた。
2008年7月にレッドスター・ベオグラードからウディネーゼへ移籍。プレシーズンの親善試合にも出場した。しかし、クラブは2つある非EU枠にバスタを登録したくなかったため、チームメイトで同郷のアレクサンダル・ルコヴィッチが、かつてそうしたように開幕前にUSレッチェへレンタル移籍させた[1]。
2009年夏にチームへ戻ると、いつもプレーしていた中盤右サイドから右WBとしてスタートすることになった。9月23日のACミラン戦で、27分にマウリシオ・イスラとの交代で初出場し1-0で勝利した。その後、シモーネ・ペペが負傷したためチームは3-5-2へとフォーメーションを以降。バスタは右サイドのMFとして数試合プレーしたが、翌2010-11シーズン全試合欠場するほどの大怪我を負い欠場を余儀なくされ、その間にバスタのポジションはイスラへと渡った。
バスタは、2011年9月11日の2011-12シーズン開幕戦で18ヶ月ぶりに復帰した。その試合をフランチェスコ・グイドリンは、イスラを休ませ3-5-2の右WBでバスタを起用した。このUSレッチェではゴールを決め2-0で勝利した。次のUEFAヨーロッパリーグ 2011-12グループステージ第1試合のスタッド・レンヌ戦ではベンチに戻った。バスタ, イスラとポジションが被る2選手に対し、グイドリン監督はバスタを右WBに、そしてイスラを中央右へと起用して共存を成功させた。ちなみに、前年まで中央右だったジャンピエロ・ピンツィは、SSCナポリへ移籍したギョクハン・インレルが務めていた中央底に変更された。11月6日のACシエナ戦で試合開始1分でゴール、12月11日のACキエーヴォ・ヴェローナ戦でヘディングゴールと決め、最終的にこのシーズンは5得点を挙げた。
2005年3月31日のスペイン戦で77分にオグニェン・コロマンと交代でピッチへ入り、セルビア・モンテネグロ代表として、代表初キャップを記録した[2]。チュニジア戦で2キャップ目を記録した[3]。2006 FIFAワールドカップのメンバーに選出されるも出場はなかった。
2006年からは、U-21代表に選ばれ18試合に出場。同年のポルトガルで行われたUEFA U-21欧州選手権2006と、翌年のオランダで行われたUEFA U-21欧州選手権2007に2度出場。それぞれ準決勝と決勝で敗退している。
セルビア代表としては、ラドヴァン・クルチッチ時代に初招集された。メキシコ戦とホンジュラス戦に向け招集されていたネヴェン・スボティッチが負傷により辞退した代わりとしてだった。しかし、バスタも招集された後に同様に負傷した。その代わりとしてクルチッチ監督は、ネマニャ・トミッチ, アデム・リャイッチ, アンドリヤ・カルジェロヴィッチを招集した。
2013年2月6日のキプロスとの親善試合で代表初得点を挙げた。
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