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シンガポールの政治家 ウィキペディアから
トニー・タン・ケン・ヤム(英語: Tony Tan Keng Yam、中国語: 陳慶炎、1940年2月7日 - )は、シンガポールの政治家、銀行員、数学者。同国第7代大統領。
英華学校、セント・パトリックス・スクール、セント・ジョセフス・インスティテューション卒。シンガポール国立大学学士(物理学・首席)、マサチューセッツ工科大学修士(オペレーションズ・リサーチ)、アデレード大学博士(数学)。母校のシンガポール国立大学で教鞭をとった後、華僑銀行に勤めて総経理(総支配人)に至るが、政界を志し離職。
1979年に執政党の人民行動党所属国会議員となり、教育省政務次長(Senior Minister of State)。1980年には教育大臣として入閣。その後、通商産業大臣、財務大臣、保健大臣を歴任。
1991年に閣僚を退任し、華僑銀行に復職するが、議員ポストは維持した。
1995年に内閣に戻り、副首相と国防大臣を兼任。
2005年に閣僚を退き、翌年の国会改選にも出馬せず、以降はさまざまな機関の指導ポストに就いた。
2011年8月29日のS・R・ナザン大統領の任期満了にともなう大統領選挙に、人民行動党を形式離党して出馬。スローガンは「実績・信頼・誠実」。8月27日の投票で当選。9月1日に就任した。
2015年3月14日、建国50周年を記念し8月7日を特別休日に制定すると発表[1]。
2016年11月30日~12月4日には、日本・シンガポール外交関係樹立50周年を記念して日本を訪問した。
後任の大統領を決める選挙は2017年8月に行われる予定であったが、同月の建国記念行事が選挙運動に重なることを理由に、選挙は9月23日に延期された。9月1日をもってトニー・タンは予定どおり任期満了で大統領を退任し、J・Y・ピレーが代行を務めている[2]。
1964年にチー・ビー・キアンと結婚し、4人の子をもうけた。
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