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テイスペス(Teispes、古代ギリシア語: Τείσπης テイスペース、ペルシア語: چش پش チーシュピーシュ、古代ペルシア語:チシュピシュ[1]、バビロニア語:シシュピシュ、エラム語:ツィシュピシュ、紀元前700年頃 - 紀元前640年頃)は、アンシャン王[2]。ベヒストゥン碑文によればアケメネスの息子で、アケメネス朝の二代目にあたる。推定在位期間は紀元前675年頃 - 640年頃。
ベヒストゥン碑文およびキュロス・シリンダーなどの楔形文字碑文によれば、ダレイオス1世とキュロス2世はその先祖をともにテイスペスとしている。このことから、テイスペスがふたりの息子であるキュロス1世(キュロス2世の祖父)とアリアラムネス(ダレイオス1世の曾祖父)に領土を分与したという説が発生した[3]。この説によれば、アリアラムネスはペルシス地方を、キュロス1世はエラム地方のアンシャンを相続した。
しかし、アンシャンとペルシスは同じ場所を意味した可能性が高く[4]、この説は疑わしい。アリアラムネスが王であった証拠はなく[3]、子孫のダレイオス1世がそう称しているだけかもしれない。
テイスペスの名はヘロドトス『歴史』の7巻に出てくるアケメネス朝の系図にも見えるが、ヘロドトスの記述は混乱しており、テイスペスがふたりになっている。
ベヒストゥン碑文の記す系図は以下の通りである。
アケメネス | |||||||||||||||
テイスペス | |||||||||||||||
キュロス1世 | アリアラムネス | ||||||||||||||
カンビュセス1世 | アルサメス | ||||||||||||||
キュロス2世 | ヒュスタスペス | ||||||||||||||
カンビュセス2世 | ダレイオス1世 | ||||||||||||||
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