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ツォンカパ(ཙོང་ཁ་པ་ Tsong-kha-pa、1357年 - 1419年)は、チベット仏教最大の学僧であり、代々のダライ・ラマの所属する宗派ゲルク派(黄帽派)の開祖。本名はロサン・タクパ(blo bzang grags pa)。アムド地方ツォンカ(湟中・クンブム・チャンパーリン寺(タール寺)の所在地)の地に生まれる。ツォンカパとは「ツォンカ(湟中)の人」という意味で出身地の地名にちなんだ通称である。ツォンカと言う地名の語源は葱(cōng)[2]の地(kha)であり、人(pa)を加えると「葱畑の人」という意味ともなる[2]。守護尊(イダム)は文殊菩薩とヴァジュラバイラヴァ。
1372年、ツォンカパが16歳の頃にウー・ツァンに移り、仏門に入る[4]。
1401年、アティーシャの『菩提道灯論』に範をとって主著『菩提道次第論』を著し、仏教のあらゆる教説は行者が凡夫から悟りへと至る修行の道程として統合されるとする「道次第」(ラムリム、修行の道程)の思想によってチベット仏教教学を大成した[5]。また、『秘密道次第』を筆頭に密教的著作も数多く残している。
思想的には中観帰謬派(プラーサンギカ)の立場をとり、顕教においては特にチャンドラキールティの説を奉じた。また、それと呼応して密教教義の解釈にも中観派的な視点からの捉え直しを行い、なかでも性瑜伽などを観想上のものと規定することで、左道密教的な実践を廃し、修行者に持戒を求めたことは、綱紀の粛正の面で大きな役割を果たした。
1419年、自らが開いたガンデン寺で死去[4]。墓(廟所)は同寺内にあり、チベット仏教の伝統により遺体はミイラ化されて保存されていたが、文化大革命に伴う寺の破壊に伴い遺体も散逸した。現在は再興した寺に再建された廟に、回収された遺骨の一部が納められている。
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