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チャールズ (HMS Charls) はイギリス海軍の96門1等戦列艦。後にセント・ジョージ (HMS St George) と改名された。
チャールズ | |
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基本情報 | |
建造所 | デトフォード海軍工廠 |
運用者 |
イングランド海軍 → イギリス海軍 |
艦種 |
96門1等戦列艦 →90門2等戦列艦(1701年) |
艦歴 | |
進水 | 1668年3月10日 |
最期 | 1774年、解体 |
改名 | セント・ジョージ(1701年) |
要目 | |
トン数 |
11668年:1,229 bm 1701年:1,740 bm 1740年:1,655 bm |
長さ |
1668年:128 ft (39 m)(竜骨) 1701年:162 ft 6 in (49.5 m)(砲列甲板) 1740年:166 ft (50.6 m)(砲列甲板) |
最大幅 |
1668年:42 ft 6 in (13.0 m) 1701年47 ft 9 in (14.6 m) 1740年:47 ft 9 in (14.6 m) |
吃水 |
1668年:18 ft 6 in (5.6 m) 1701年:18 ft 7 in (5.7 m) 1740年:19 ft 6 in (5.9 m) |
帆装 | 3本マストシップ |
兵装 |
1668年:各種口径の砲96門 1701年:各種口径の砲90門 1740年:
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出典:[1] (1668), [2] (1701), [3](1740) |
チャールズはデトフォード工廠のクリストファー・ペットによって建造が進められ、1668年3月の彼の死後、ジョナス・シスの手によって同月に進水した。 この船の名前は厳密には2代目だが、特に1673年の同時期に「ロイヤル・チャールズ」が進水してからは、単に「チャールズ」として一般には知られている[1]。
「チャールズ」は1687年に「セント・ジョージ」と改名され、2等戦列艦に分類し直された。また、1699年から1701年にかけてポーツマス工廠で90門2等戦列艦として再建造された。1707年にはクラウズリー・ショヴェル提督の艦隊に所属した。ジェームズ・バークリー艦長の指揮下[4]で、失敗したトゥーロン包囲戦に参加し、ショヴェルと4隻の艦船が失われたシリー諸島での海軍大難破にも居合わせた。この海難事件では2等艦「アソシエーション」、3等艦「イーグル」、4等艦「ロムニー」、 火船の「ファイアブランド」と2000人にも及ぶ水夫が失われた[5]。「セント・ジョージ」もシリー諸島の岩に乗り上げたが、辛くも脱出した。
「セント・ジョージ」は1726年に再び再建造のためにポーツマスで分解された。そして、1733年9月4日に「セント・ジョージ」を1719年の寸法規定から1733年提案の寸法規定に沿うように再建造が命じられた。再進水は1740年4月3日に行われた[3]。
「セント・ジョージ」は最終的に1774年9月に解体された[3]。
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