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セメレーニ・オスヴァルド(ハンガリー語: Szemerényi Oszvald János Lajos [ˈsɛmɛreːɲiˌˈosvɒldˌˈjaːnoʃˌˈlɒjoʃ] セメレーニ・オスヴァルド・ヤーノシュ・ラヨシュ、(1913年9月7日 – 1996年12月29日)、英語: Oswald John Louis Szemerényi オズワルド・ジョン・ルイズ・セメレーニ)はロンドン生まれのハンガリー人言語学者。専門は印欧語比較文法。
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1913年9月7日 ロンドン(イギリス) |
死没 |
1996年12月29日(83歳没) フライブルク(ドイツ) |
国籍 | ハンガリー |
出身校 | Magyar Királyi Pázmány Péter Tudományegyetem( –1936) |
配偶者 | Erzsébet Kövér [ˈɛrʒeːbɛtˌˈkøveːr] |
子供 | Zoltán [ˈzoltaːn] |
学問 | |
研究分野 | 印欧語比較文法、ラテン語、ギリシャ語、イラン系言語 |
研究機関 | エトヴェシュ・ロラーンド大学、ロンドン大学 |
学位 | Ph. D.(印欧語比較文法) |
主な業績 | セメレーニの法則 |
主要な作品 | Einführung in die vergleichende Sprachwissenschaft(『比較言語学概論』) |
ロンドンで生まれたものの教育は祖国ハンガリーで受け、その後大学で教鞭を取るが、第二次世界大戦の政治的混乱を避けてイギリスへ移住。生活のためのBBC勤務を経て、ようやく英国ベッドフォード大学講師に任命されたのが1952年である。 このような背景から、政治に対する興味も強く、自叙伝では遺作として "The shift of power in world history and its consequences" と著すと予告したが、結局日の目を見ることはなかった。
セメレーニの研究分野は、著作集 Scripta Minora (論文集)4巻と同じように、
となる。ただ、ラテン語・ギリシャ語などの研究とは言うものの、セメレーニの眼は常に印欧語比較文法/言語学に向いている。そして、個別言語から印欧祖語の再建と、印欧祖語から各個別言語への発展過程の解明に力が注がれている。
セメレーニの著作は、改訂版、翻訳などもすべて含めて、下記の如く23点に上る(なお論文集Scripta Minora4巻は1冊とみなす。また "Studies in the Kinship Terminology in the IE Languages…" など専門雑誌に掲載の長編論文も、"Bibliographie Linguistique" の基準に従って単著書と数える)。
このうち主著は、何と言っても "Einführung in die vergleichende Sprachwissenschaft"(『比較言語学概論』)である。1970年に初版発行以来、1980年2版、1989年改訂3版、1990年4版(但し、実際の出版年は1991年)まで発行され、またスペイン語(Editorial Gredos, 1978年)、ロシア語(Moscow, 1980年)・イタリア語(Milan, 1985年)・英語(Clarendon Press, Oxford, 1996年)に翻訳された事をみても明瞭である。本書は、書名に「印欧語」とはうたっていないものの、実質的には『印欧比較言語学概論』であり、音韻論と形態論からのみなり統語論は含まない。しかし、300頁を越えるまとまった形での印欧語言語学概論は、アントワーヌ・メイエの主著 "Introduction à l'étude comparative des langues indo-européennes"(1903年初版、1937年8版)以来のものであり、さらにメイエのものと違って自説を展開しながらも異説・参考文献の非常に広く紹介している。多くの専門家が必読書として挙げる所以である。
なおセメレーニは、1950年代後半に、内容的には Einführung を凌ぐ "Introduction to IE Philology" をほぼ書き上げていた。原稿段階で168頁が印欧諸語の概観、169-346頁音韻論であった。この本は Einführung 初版(1970年, 12頁)にも "...für 1972 geplanted Buch Introduction to Indo-European Philology" と具体的な書名及び出版予定年まであげて出版が予告された。(なお1978年のスペイン語訳では、この箇所は"...mi proyectado libro Introduction to Indo-European Linguistics"と出版予定年は消え、書名も変更されている)。この英語のIntroductionは1978年に至ってその出版が最終的に見送られる事になったのだが、その原因はセメレーニの言葉をそのまま借りれば、"I did not work hard enough"(Introduction to IE Linguistics, vii)という事であり、ドイツ語版Einführung出版の陰で棚上げされた格好となったものである。
その一方、Einführung 英訳の話は1972年3月に遡る。原著の出版社(Wissenschaftliche Buchgesellschaft)から、カリフォルニア在住のDr.Eugene E.Flajserが翻訳を申し出ている旨の連絡を受け、また同氏がカリフォルニア大学バークレー校の教授Dr.Madison BeelerのEinführungに対する高評価を参照している事を知ったのである。そこで、セメレーニはBeeler教授に手紙を出し、こう告げた。「Introduction to IE philologuが、今年は無理でも来年には必ず英語で出版されます。」と。その真意は、言うまでもなく「英語訳の出版は、英語版Introduction出版を阻害しかねないので止めてほしい」という事。つまり、Einführung英語訳の出版は、セメレーニ自らが消滅させたものであり、その意味で、永眠の直前に待望の英訳の出版を見られた事は何よりであった。
なお、セメレーニの英語版Introductionへの執着の強さは相当なものがあり、Einführung第3版(1989年、13頁)にも他書の紹介に当たって括弧付きで、「著者自身も10余年前に、その規模は劣るものの完成させていた。。。」と間接的に言及している事からもうかがえる。
第二の主著 "Richtungen der modernen Sprachwissenschaft, I 及び II" は現代言語学の歴史を、広い視野から説いたもので、セメレーニが単なる比較言語学者でなく、一般言語学・文法理論など広い分野を研究対象としていた事が良く分かる。自叙伝では続編の第3巻(1960年から1990年まで対象)の出版を希望している旨の発言があったが、叶わなかった。
以上の主著のほか、あらゆる印欧諸語と印欧比較言語学に関する著作・論文があるが、セメレーニの特徴を一言で述べるとすれば、その「徹底性 (exhaustiveness)」であろう。著作時点で入手可能な資料・先行論文をくまなく精査・精読し、その一々に対して自らの所説と立場を明らかにして行く。自らが建てた仮説に対する反証事例はことごとく説明し切る。その最も良い例が、Pierre Chantraine著 Dictionnaire étymologique de la langue grecque(『ギリシャ語語源辞典』)に対する書評であろう。分冊刊行された辞典に対して、3回にわたり合計約50ページにわたる詳細な書評である。その行き届いた徹底振りに、著者(全冊完成を見ずに死去したが)みずからが「本辞典の利用者は、セメレーニの書評の写しを共に使用することを薦める」と言ったほどである。
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