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スヴォボードヌイ(ロシア語:Свободныйスヴァボードヌィイ)は、ソ連で建造された駆逐艦(艦隊水雷艇;Эскадренный миноносец)である。艦名は、「自由な」といった意味のロシア語の形容詞である。
ベシュシュームヌイ スヴォボードヌイ | ||
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1942年4月、セヴァストーポリにて撮影された スヴォボードヌイ | ||
艦歴 | ||
ベシュシュームヌイ Бесшумный | ||
起工 | 1936年8月23日 第200工場 | |
再起工 | 1938年 | |
進水 | 1939年2月25日 | |
スヴォボードヌイ Свободный | ||
改称 | 1940年9月25日 | |
竣工 | 1942年1月2日 | |
所属 | 赤色海軍黒海艦隊 | |
沈没 | 1942年6月10日 | |
要目 | ||
艦型 | 7U号計画型 | |
艦種 | 駆逐艦 | |
工場番号 | 1074 | |
排水量 | 基準排水量 | 1850 t |
通常排水量 | 2150 t | |
満載排水量 | 2400 t | |
全長 | 112.5 m | |
全幅 | 10.2 m | |
喫水 | 4.2 m | |
機関 | 蒸気タービンGTZA-24 | 2 基 60000 馬力 |
ボイラー | 4 基 | |
速力 | 最大速度 | 39.6 kn |
巡航速度 | 20 kn | |
航続距離 | 1400 浬/20 kn | |
乗員 | 士官 | 15 名 |
水兵 | 192 名 | |
武装 | 50口径130 mm単装砲B-13-2 | 4 基 |
55口径76 mm単装高角砲34K | 3 基 | |
46口径45 mm単装高角砲21K | 3 基 | |
67.5口径37 mm単装高角砲70K | 7 基 | |
12.7 mm連装機銃DShK | 4 基 | |
533 mm3連装魚雷発射管1-N | 2 基(53-38魚雷を使用) | |
大型爆雷B-1 | 10 個 | |
小型爆雷M-1 | 20 個 | |
爆雷投射機BMB-1 | 2 基 | |
機雷 | KB:58 個 または1926年型:62 個 | |
パラヴェーン | 4 基 | |
装甲 | なし |
スヴォボードヌイは、7号計画によって建造される駆逐艦の1 隻として、1936年8月23日にニコラーエフの第200工場(現在の61コムナール記念造船工場)で起工された。工場番号では第1074艦、当初の名称は「音のしない、雑音のない」という意味のベシュシュームヌイ(Бесшумныйビシュームヌィイ)であった。
しかしながら、7号計画にはトップヘビーなどの性能上の重大な欠陥があり、改設計を経た7U号計画型として再度起工され直すことが決定された。その結果、プロゾルリーヴイは7U号計画型駆逐艦の16番艦として1938年に再起工、1939年2月25日に進水した。1940年9月25日には、艦名はスヴォボードヌイに改められた。
大祖国戦争の開戦した1941年6月22日の時点で、工程の83.8 %が完成していた。8月、まだ繋留大索試験が終了しない内に艦はセヴァストーポリへ完成作業のため引き渡された。その際に不十分な仕上げに起因する事故があり、工事はさらに延期された。
1942年1月2日にようやく竣工し、1月8日付けで黒海艦隊に編入された。6月10日早朝から、セヴァストーポリでHe111およびJu 87からなるドイツ空軍爆撃機隊の空襲を受けた。スヴォボードヌイは反撃し、敵機を撃墜し放たれた24 本の魚雷すべてを交わしたが、ついに急降下爆撃による9 発の命中弾を受け、3日後に沈没した。
戦後、1953年になって引き上げられ、解体された。沈没地点の近くには、スヴォボードヌイの勇戦を讃え、犠牲者を追悼する記念碑が立てられた。
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