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ゲイリー・ムーアのアルバム ウィキペディアから
『スティル・ゴット・ザ・ブルーズ[注釈 1]』(Still Got the Blues)は、北アイルランドのギタリスト、ゲイリー・ムーアが1990年に発表したスタジオ・アルバム。ムーアのルーツであるブルースを探求した作品で、本作が自身最大のヒット・アルバムとなったのを機に、以後もブルース色の強い作品をリリースするようになった[11]。全世界的な売り上げは300万枚以上と言われる[12]。
『スティル・ゴット・ザ・ブルーズ』 | ||||
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ゲイリー・ムーア の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル | ブルースロック | |||
時間 | ||||
レーベル | ヴァージン・レコード | |||
プロデュース | ゲイリー・ムーア、イアン・テイラー | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
ゲイリー・ムーア アルバム 年表 | ||||
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1980年代末期、ムーアは自分の音楽的方向性に関して迷いを抱いており、長年ムーアと共に活動してきたベーシストのボブ・デイズリーによれば、ドイツ公演前の楽屋でムーアと共にブルースブレイカーズの曲のジャム・セッションを行い、その時にデイズリーが「ブルース・アルバムを作ってみたらどうか?」と進言して、本作の制作につながったという[13]。そして、ムーアは1980年代初頭に共演したベーシスト、アンディ・パイル(元ブロードウィン・ピッグ、サヴォイ・ブラウン)と共にデモ・レコーディングを開始し、当初はパイルと共演経験のあるクライヴ・バンカーがドラマーに起用されたが、バンカーとのセッションはうまくいかず、最終的にはシンプルな演奏を評価されたグラハム・ウォーカーがドラムスを担当した[13]。また、ムーアは別のリズム・セクションも必要と考え、一部の曲では前述のボブ・デイズリーに加えて、ムーアがシン・リジィ時代に共演したブライアン・ダウニーを迎えた[13]。共同プロデューサーのイアン・テイラーは、ムーアの前作『アフター・ザ・ウォー』(1989年)でエンジニアリングとミキシングを務めており、本作以降もムーアの作品のプロデュースに貢献した[14]。
本作のレコーディングでは、主にムーアが1988年に購入した1959年製のレスポール・スタンダードが使用されたが、「ミッドナイト・ブルーズ」や「ストップ・メッシン・アラウンド」では、かつてピーター・グリーンから譲られたレスポールが使用された[13]。また、「テキサス・ストラット」で使用された1961年製のサーモンピンクのストラトキャスターは、ムーアが1981年、グレッグ・レイクのレコーディング・セッションに参加していた際に購入した物で、元々はトミー・スティールが所有していたと言われる[13]。
「オー・プリティ・ウーマン」は、アルバート・キングがアルバム『ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン』(1966年)で発表した曲のカヴァーである。キングは本作のヴァージョンにも本人参加し、更に同曲のミュージック・ビデオにも出演した[13]。
「トゥー・タイアード」は、元々はジョニー・"ギター"・ワトソンが1955年に発表した曲で、アルバート・コリンズのアルバム『アイス・ピッキン』(1978年)でもカヴァーされており[15]、コリンズは本作のヴァージョンにゲスト参加したのに加えて、本作のリリースに伴うツアーでも30ほどの公演に参加し[13]、更にムーアの次作『アフター・アワーズ』(1992年)にも引き続き参加した[16]。一方、ムーアは後にコリンズのアルバム『コリンズ・ミックス〜ザ・ベスト・オブ・アルバート・コリンズ』(1993年)にゲスト参加している[17]。
ジョージ・ハリスンが提供した「ザット・カインド・オブ・ウーマン」は、当初はエリック・クラプトンのアルバム『ジャーニーマン』(1989年)の収録曲の候補だったが、同アルバムには収録されず、クラプトンのヴァージョンはチャリティ・アルバム『Nobody’s Child: Romanian Angel Appeal』(1990年)で発表された[18]。なお、ムーアはハリスンの所属バンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」のアルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.3』(1990年10月発売)収録曲「シーズ・マイ・ベイビー」のレコーディングに参加している[19]。
「オール・ユア・ラヴ」はオーティス・ラッシュが1959年に発表した曲だが、ブルースブレイカーズも1966年のアルバム『ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』で取り上げており[20]、ムーアは友人の家でブルースブレイカーズのヴァージョンを初めて聴いた際「一瞬にして人生が変わり、信じがたい啓示を得た」ほどの衝撃を受けたという[13]。
全英アルバムチャートでは26週にわたりトップ100入りして、最高13位を記録し[7]、リリースから4年半後の1994年9月には、イギリス国内でプラチナ・ディスクの認定を受けた[12]。アメリカでは1991年2月16日付のBillboard 200で83位に達して自身唯一の全米トップ100アルバムとなり[10]、1995年11月には、ムーアのアルバムとしては唯一RIAAによりゴールド・ディスクの認定を受けた[21]。
オランダのアルバム・チャートでは32週トップ100入りし、うち3週にわたって1位を獲得した[1]。スウェーデンのアルバム・チャートでは6回(合計14週)連続で1位を獲得し、合計14週トップ40入りした[2]。ドイツのアルバム・チャートでは、2週にわたって4位を記録し、合計57週トップ100入りするロング・ヒットとなった[5]。
Daevid Jehnzenはオールミュージックにおいて5点満点中4.5点を付け「ムーアの演奏は過去最良で、印象的な技巧と魂の両立した情熱的なフレーズが、とめどなく流れている」と評している[22]。エリック・クラプトンはアルバム『オールド・ソック』(2013年)で「スティル・ゴット・ザ・ブルーズ」をカヴァーしてムーアを追悼しており、この曲に関して「曲そのものが強力で、改作し甲斐があると思ったから、ジャズ・クラブ風にやってみた」とコメントしている[13]。
収録曲のうち「ミッドナイト・ブルーズ」と「オール・ユア・ラヴ」は、ムーアが2006年に発表したアルバム『オールド・ニュー・バラッズ・ブルース』で再録音された[23]。「スティル・ゴット・ザ・ブルーズ」のギター・フレーズは、ドイツのバンドJud's Galleryが1974年に作った曲「Nordrach」(当時はレコード化されておらず、ライブやラジオでしか聴くことができなかった)との類似が指摘されており、後に同バンドのリーダーであるJüergen Winterがムーアを訴え、2008年にはムーアが敗訴した[24]。
特記なき楽曲はゲイリー・ムーア作。
本作からのシングルのチャート最高順位を示す。
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