Remove ads

ターナー・ジョー・マイヤー・ジュニア(Tanner Joe Meyer Jr.、1962年5月10日 - )は、元プロ野球選手内野手)。アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身。

概要 基本情報, 国籍 ...
ジョーイ・マイヤー
Joey Meyer
ブルワーズ時代(1988年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ホノルル
生年月日 (1962-05-10) 1962年5月10日(62歳)
身長
体重
191 cm
118 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手指名打者
プロ入り 1983年 MLBドラフト5位
初出場 MLB / 1988年4月4日
NPB / 1990年4月7日
最終出場 MLB / 1989年9月30日
NPB / 1990年10月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
閉じる

従兄弟に元大相撲横綱総合格闘家曙太郎がいる。

来歴・人物

1981年カリフォルニア・エンゼルスに指名されたが入団を拒否してハワイ大学に進学した。

1983年、ドラフト5位でミルウォーキー・ブルワーズに入団した。クラスAミッドウェストリーグベロイト・ブルワーズでは三冠王を獲得、1988年メジャー昇格。1989年との2年間で156試合に出場。2年間の通算成績は、打率.251、18本塁打、74打点であった。その一方で1試合5三振を記録するなどの粗さも目立った(1988年9月20日、カリフォルニア・エンゼルス戦で記録)。

1990年横浜大洋ホエールズに入団。打撃不振のカルロス・ポンセに代わって主砲として活躍した。しかし足の遅さと一塁守備の範囲の狭さ、故障の多さなどが原因で、1年で解雇され退団した。

同年の対巨人戦で木田優夫から受けた死球に激怒。木田に突進し乱闘騒ぎになった。

自身の応援歌は2008年入団のジェイジェイ、2016年入団のジェイミー・ロマックに流用されている。

2021年現在はプロ野球選手を引退し、マウイ島の病院にて警備員として働いている。選手時代の話を同僚らにすることはないという[1]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1988 MIL 1033523272286180111374501012312889.263.314.419.733
1989 531641471333607602910051201362.224.279.408.687
1990 大洋 104426378591041802620077010440248213.275.347.529.876
MLB:2年 1565164743511924018197741106351312411.251.303.416.719
NPB:1年 104426378591041802620077010440248213.275.347.529.876
閉じる
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB
  • 初出場・初先発出場:1990年4月7日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、4番・一塁手として先発出場
  • 初打点:同上、3回表に西本聖から犠飛
  • 初安打・初本塁打:同上、10回表に西本聖から右中間へソロ

背番号

  • 23 (1988年 - 1990年)
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.

Remove ads