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ナイジェリアの軍人、政治家、ナイジェリア連邦共和国第2代最高軍事評議会議長 ウィキペディアから
ジョンソン・トマス・ウムナクウェ・アグクイ=イロンシ(Johnson Thomas Umunnakwe Aguiyi-Ironsi、1924年3月3日 - 1966年7月29日)は、ナイジェリアの軍人、政治家。
イボ族出身の将校で、ナイジェリア独立後は国軍最高司令官に就任した。コンゴ動乱の際には、国連軍に参加するなど有能な人物であった。
ナイジェリアは独立後、地域間の対立が激化し、政治の腐敗も深刻であった。1966年1月15日、政府の腐敗に怒ったチュクウマ・ヌゼオグ、エマヌエル・イフェアジュアナ、デイビッド・オカフォル少佐らがクーデターを起こし、北部州政府首相アフマド・ベロ、連邦首相アブバカール・タファワ・バレワ、西部州首相チーフ・アキントラが殺害された。
しかし、イロンシ将軍は逮捕をまぬがれて1月16日に全権を委任され、クーデターを鎮圧した。イロンシ将軍は軍事政権を樹立し、中央集権的な体制を構築していく。「最高軍事評議会」を設置して国家元首に就任し、東部州軍政官にチュクエメカ・オジュク中佐、北部州軍政官にハッサン・カチナ中佐らを任命した。
イロンシの中央集権的統治は、それまでの連邦制による地域政治家の権益を冒すことになり、不満が蓄積した。イロンシをはじめイボ族への反感が高まり、民族衝突が激化した。1966年7月28日、北部出身のヤクブ・ゴウォン中佐がクーデターを起こし、翌日イロンシは視察旅行先のイバダンで殺害された。
このクーデターで北部人による東部のイボ族迫害・虐殺が強化され、ビアフラ紛争のきっかけとなった。イロンシに任命されたオジュクは、ビアフラ独立運動の指導者となっている。
公職 | ||
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先代 ンナムディ・アジキウェ |
ナイジェリア連邦共和国大統領 第2代:1966 |
次代 ヤクブ・ゴウォン |
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