ジョルジュ・ブスケ
フランスの弁護士 ウィキペディアから
フランスの弁護士 ウィキペディアから
ジョルジュ・イレール・ブスケ(Georges Hilaire Bousquet、1846年3月3日 - 1937年1月15日)は、フランスの弁護士。明治初期の4年間(1872-1876)滞日し、『日本見聞記』を著した。
1872年(明治5年)に訪日(日本で初めての御雇い外国人)。当初旧民法草案の策定に関わった(民法典論争#江藤新平制度局時代参照)。ギュスターヴ・エミール・ボアソナード訪日後は、司法省明法寮(後、司法省法学校)で法学を講義した。1876年(明治9年)に帰国し、日本での見聞をまとめた『今日の日本』(Le Japon de nos jours)を出版。
1937年1月15日死去。モンマルトル墓地に埋葬された。
1877年に刊行した『Le Japon de Nos Jours et les Echelles de l'Extreme Orient: Ouvrage Contenant Trois Cartes』の中で、ブスケは『日本の職人』について、こう記している。
どこかの仕事場に入ってみたまえ。人は煙草をふかし、笑い、喋っている。時々槌をふるい、石を持ち上げ、ついでどうゆう風に仕事に取り掛かるかを論じ、それから再び始める。日が落ち、ついに時が来る。さあ、これで一日の終わりだ。仕事を休むために常に口実が用意されている。暑さ・寒さ・雨、それから特に祭りである[1]。
また、「日本人の生活はシンプルだから貧しい者はいっぱいいるが、そこには悲惨というものはない」と書き、日本人に欧米諸国の貧困層がもつ野蛮さがないことに驚嘆しつつ、次第に失われていくことを惜しんだ[2]。
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