ジュリオ・アレーニ

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ジュリオ・アレーニ(Giulio Aleni, 1582年 - 1649年6月10日)は、イタリア出身のイエズス会の宣教師。末の中国で宣教活動を行い、多数の著書がある。中国名は艾儒略(Ài Rúlüè)。

略歴

アレーニは北イタリアのブレッシャに生まれた。1600年にイエズス会に入会し、グレゴリアン大学クリストファー・クラヴィウスに学んだ。ゴア経由で1610年にマカオに至り、そこで数学を教えながら中国に潜入する機会をうかがった。1613年に中国に入り、北京徐光啓の知遇を得て各地で布教活動を行った。

1625年からは福建省で布教した。1638年にキリスト教排撃事件が起きたためにマカオに引きあげたが、のちに再び福建に戻った。1646年にが福建に侵入したため、アレーニは福州から逃がれ、延平で1649年に没した。

主要な著作

要約
視点
Thumb
天主降生出像経解

アレーニは中国語で大量の書物を著した。

なお、『西学凡』『職方外紀』は、李之藻による叢書『天学初函』に収められる。

日本への影響

『職方外紀』は、キリスト教禁教の関係で江戸時代の日本で印刷されることはなかったが、多数の写本が残り、西川如見『増補華夷通商考』をはじめとして江戸時代の世界地理学に大きな影響を及ぼした[3]

『三山論学記』は、平田篤胤の神学に影響を与えた[4]

『西学凡』は、蘭学者桂川甫賢に受容されたが、甫賢は「理学」を自然学自然哲学)に限定して考えていた[2]

脚注

参考文献

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