ジャン1世 (ブラバント公)

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ジャン1世 (ブラバント公)

ジャン1世(蘭:Jan I van Brabant, 仏:Jean Ire de Brabant, 1253年 - 1294年5月3日)は、ブラバント公(在位:1267年 - 1294年)、リンブルフ公(在位:1288年 - 1294年)。父はアンリ3世、母はブルゴーニュ公ユーグ4世の娘アデライードアンリ4世の弟。

生涯

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戦いに赴くジャン1世(『マネッセ写本』より)

1267年、兄のアンリ4世を精神薄弱を理由に廃位させ、ブラバント公を継いだ[1]1283年、リンブルフ女公イルムガルトの死後に相続争いが勃発したが、ジャンは1288年ヴォーリンゲンの戦いに勝利、ルクセンブルク伯ハインリヒ6世を討ち取り、リンブルフ公国を正式にブラバント公国に併合した[1]

1270年フランスルイ9世の娘マルグリットと結婚[2]、翌年に息子を出産したが母子共に死去した。

1273年フランドル伯ギー・ド・ダンピエールの娘マルグリットと再婚[3]、4人の子を儲けた[1]

  1. ゴドフロワ(1274年 - 1283年)
  2. ジャン2世(1275年 - 1312年)
  3. マルグリット(1276年 - 1311年) - 神聖ローマ皇帝兼ルクセンブルク伯ハインリヒ7世と結婚。
  4. マリー(1278年 - 1338年) - サヴォイアアメデーオ5世と結婚。

脚注

参考文献

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