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ジャボン・フランシス

ジャマイカの陸上競技選手 (1994-) ウィキペディアから

ジャボン・フランシス
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ジャボン・フランシス(Javon Francis、1994年12月14日 ‐ )は、ジャマイカキングストン出身の陸上競技選手。専門は短距離走400m。自己ベストはジャマイカ歴代5位タイの44秒50。2016年リオデジャネイロオリンピック男子4×400mリレーの銀メダリストである。

概要 ジャボン・フランシス, 選手情報 ...
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経歴

要約
視点

小学生の時に陸上競技を始めたが、当初は100mに取り組んでいた[3]

2011年

3-4月のチャンプス (en) (10-19歳が対象のジャマイカの全国学校対抗陸上競技大会)・クラス2男子400m決勝で48秒83の2位に入った[4]

2012年

3月のチャンプス・クラス1男子400m決勝を47秒58で制した[5]

7月の世界ジュニア選手権で世界大会デビューを果たした。男子400mは予選を46秒31、準決勝を46秒06と、両ラウンドを自己ベスト(当時)で突破するも(大会前の自己ベストは47秒16)、決勝は47秒57とタイムを落として9位に終わった[6]。2走を務めた男子4×400mリレーでは3分07秒31の5位に貢献した。

2013年

3月のチャンプス・クラス1男子400m決勝を46秒21で制して連覇を達成した[7]。クラス1男子200m決勝では20秒82(+0.9)の3位に入った[8]

6月のジャマイカ選手権男子400m決勝においてジャマイカジュニア歴代2位(当時)の記録となる45秒24をマーク。1995年にダヴィアン・クラーク英語版がマークしたジャマイカジュニア記録(当時)に0秒03差と迫るタイムで2位に入り、モスクワ世界選手権代表の座を掴んだ[9][10]

8月のモスクワ世界選手権に出場し、18歳の若さでシニアの世界大会デビューを果たした。男子400mは予選を自己ベスト(当時45秒24)に迫る45秒37の組2着で突破するも、決勝は45秒62とタイムを落とし組5着(全体15位)で敗退した[11]。4走を務めた男子4×400mリレー決勝では5番手でバトンを受け取り、バックストレートで一気に加速して2位まで浮上すると、ホームストレートで3位のロシアに追い上げられたものの2分59秒88でフィニッシュ(ロシアと0秒02差)。決勝の選手の中で最速となる44秒05のラップを刻み、この種目では2003年パリ大会以来となる銀メダル獲得に貢献した[12]

2014年

3月のチャンプス・クラス1男子400m決勝において45秒00の大会記録(当時)を樹立。2003年にウサイン・ボルトがマークした45秒35を11年ぶりに更新して3連覇を達成した[13]。しかし、その後のクラス1男子200m決勝で負傷したため(結果は24秒32の7位)、残りのシーズンを棒に振った(復帰レースは2015年2月)[14]

7月にプーマとプロ契約を結んだ[15]

2015年

怪我のため昨年は出場できなかった5月の世界リレーに初出場を果たすと、男子4×400mリレーで4走を務め、予選は44秒01のラップを刻んでチームを5位から2位に引き上げた[16]。翌日の決勝では6番手でバトンを受け取り44秒00のラップを刻むも[17]、3分00秒23の4位に終わりメダルを逃した[18]

5月9日のジャマイカ国際招待男子400mにおいて自身初の44秒台となる44秒90をマークした[19]

6月13日のJAAA All Comers Meet男子400mにおいてジャマイカ歴代3位(当時)の記録となる44秒50をマーク。ジャーメイン・ゴンザレスが持つジャマイカ記録(当時)に0秒10差と迫った[19]。同月28日にはジャマイカ選手権男子400m決勝を44秒70で制し、シニアの全国タイトルを初めて獲得した[20]。しかし、このレースで股関節を負傷し、3-4週間トレーニングをすることができなかった[21]

8月の北京世界選手権に出場すると、ジャマイカチャンピオンとして臨んだ男子400mは予選を44秒83の組2着で突破。2大会連続で進んだ準決勝は予選のタイムを縮める44秒77をマークするも組4着(全体12位)で敗退した[22]。4走を務めた男子4×400mリレー決勝では5-6番手でバトンを受け取ると、2年前の再現とばかりにバックストレートで一気に加速して1位に躍り出た。しかし、ホームストレートでアメリカとトリニダード・トバゴに抜かれると、最後はイギリスとの銅メダル争いに0秒004差で敗れ(2分58秒51の同タイム着差あり)、出場選手の中で最速となる43秒52のラップを刻んだもののメダルを逃した[23]

2016年

7月のジャマイカ選手権(リオデジャネイロオリンピック代表選考会)男子400m決勝を44秒95で制し、連覇を達成するとともにオリンピック代表の座を掴んだ[24]

8月のリオデジャネイロオリンピックに出場すると、男子400m予選を45秒88の組3着で突破し、オリンピック初出場ながら準決勝まで進出した。しかし、この種目でジャマイカ勢12年ぶりの決勝進出がかかった準決勝は、同組に2012年ロンドン大会のメダリスト3人とラショーン・メリットが混在し、更に1レーンからのスタートという厳しい条件の下、44秒96の組5着(全体12位)で敗退した[25]。4走を務めた男子4×400mリレーは予選1組目に登場すると、4着までが3分を切るというオリンピック史上初のハイレベルな組を1着(2分58秒29)で突破[26]。迎えた決勝では3-4番手でバトンを受け取ると、残り150mから加速。バハマとボツワナを抜いて2分58秒16の2位でフィニッシュし(ラップは43秒78)、この種目では2000年シドニー大会以来となる銀メダル獲得に貢献した[27]。閉会式ではジャマイカ選手団の旗手を務めた[28]

2017年

ロンドン世界選手権ジャマイカ代表の座と大会3連覇がかかった6月のジャマイカ選手権男子400mだったが、4月の世界リレーで痛めたハムストリングスの影響で欠場した[29]

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人物

主な愛称はドンキーマン(Donkey Man[3]。ウサイン・ボルトの記録を破ったことからベイビーボルト(Baby Bolt)とも呼ばれた[30]

自己ベスト

記録欄の( )内の数字は風速m/s)で、+は追い風、-は向かい風を意味する。

さらに見る 種目, 記録 ...

主要大会成績

備考欄の記録は当時のもの

さらに見る 年, 大会 ...
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脚注

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外部リンク

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