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ジャガー・マークIV(Jaguar MarkIV )はイギリスの自動車メーカーSSカーズが1935年[1][2]から第二次世界大戦を挿み1948年まで生産していた4ドアサルーンである。
1939年にSSカーズが過去最高の生産実績を上げることに貢献したが、1939年9月3日の第二次世界大戦勃発により在庫パーツによる生産へ移行し、1940年夏には軍需産業への移行を余儀なくされ、一度生産中止となった[1]。
戦後はピクニックテーブルを廃し、ブランドをSSジャガーから単なるジャガーに変更して2½サルーンと3½サルーンが再発売された[3]。
SS1の後継車として、1935年9月のロンドンモーターショーで発表された[1]。
エンジンはスタンダード製[1][2]内径φ73.0mm×行程106.0mm[2]、直列6気筒[1][2]2,664cc[1][2]で、ハリー・ウェスレイクによりOHV[2]化[1]され、圧縮比6.4[2]、SU製[2]1¼ツインキャブレター[2]により燃料供給され、SSカーズの製品として初めて100hpを超える102hp/4,600rpm[1][2]を発揮し、最高速度は138km/h[1]であった。
ステアリングはウォーム・アンド・ナット[2]。ブレーキは前後ともドラム式[2]。
シャシはスタンダード製[1]。サスペンションは前後とも半楕円リーフ式[2]。
ボディはホイールベース3,020mm[1][2]、全長4,520mm[1][2]、全幅1,700mm[1][2]、全高1,470mm[1][2]で、SS1よりも背が高い。
車両重量は1,537kg[2]。
後継車はジャガー・マークV。
エンジンはSS2用と同じスタンダード製4気筒1,608ccで[1]サイドバルブのままであるが、出力は52hp[1]に向上され、最高速度も112km/h[1]となった。
ボディはホイールベース2,860mm[1]、全長4,390mm[1]、全幅1,660mm[1]、全高1,520mm[1]で、2½サルーンよりやや小型ではあるが、非常に高い格調と風格を備えていた[1]。
出力不足が言われたが1939年には65hp/4,500rpmのOHV1,776ccエンジンを採用した[1]。
戦後はエンジンが供給されず、再発売されなかった[3]。
後継車は、強いて言えば小型ジャガーという意味で1955年発売のジャガー・Mk1 2.4である。
1938年に発売[2]された。エンジンはスタンダード製[2]で、ボアφ82.0mm×ストローク110.0mmの直列6気筒OHV[1][2]で3,485cc[1][2]、圧縮比7.2[2]、SU製[2]1¼ツインキャブレター[2]により燃料供給され125hp/4,250rpm[1]または125hp/4,500rpm[2]。
ボディはホイールベース3,020mm[2]、全長4,520mm[2]、全幅1,700mm[2]、全高1,470mm[2]。車両重量1,537kg[2]。
ステアリングはウォーム・アンド・ナット[2]。ブレーキは前後ともドラム式[2]。
現在日本においては法政大学体育会自動車部が1947年式の同車種を保存しており[4]、同学の六大学野球優勝パレードにおいて先導車を務めている[5]。
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