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ジェームス・オーティス・ウィリアム(James Otis "Jimmy" Williams、1946年5月3日 - )は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
1965年にボルチモア・オリオールズと契約。メジャー昇格は無く、ロサンゼルス・ドジャースを経てサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のAAA級フェニックスから、1972年オフに行われていたウィンターリーグで視察していた監督の与那嶺要とヘッド兼投手コーチの近藤貞雄が気に入り中日ドラゴンズに入団[2]。
同じく新入団のボビー・テーラーとクリーンナップを組んだが、ウィリアムはリーグトップの95三振を喫するなど粗さが目立ち[2]、テーラーとともに不振に喘いだ。1974年は不振で谷木恭平のセンターにポジションを奪われ控えに[2]、主に代打での出場に終わり、同年限りで退団[1]。
帰国後、フェニックスへ復帰し引退した。引退後は地元のメリーランド州を中心に後進の指導に当たっている。
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