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第2代バンドン伯爵ジェイムズ・バーナード(英: James Bernard, 2nd Earl of Bandon、1785年6月14日 - 1856年10月31日)は、グレートブリテン及びアイルランド連合王国の貴族、政治家。
フランシス・バーナード(後の初代バンドン伯爵)と、第2代シャノン伯爵リチャード・ボイルの娘レディ・キャサリン・ヘンリエッタ・ボイルの間に長男として生まれる[1]。ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで学び、1806年に学位(M.A.)を取得[2]。
1806年から1807年までコーク県ヨール選挙区選出の、1807年から1818年までコーク県選挙区選出の、1818年から1820年まで再びコーク県ヨール選挙区選出の、1820年から1826年まで及び1830年の8月から11月までコーク県バンドン選挙区選出の庶民院議員[3][1]。議会では保守党に所属。1830年に父親の死去により爵位を相続した。1835年にアイルランド貴族の貴族代表議員に選出され、グレートブリテン及びアイルランド連合王国の貴族院議員となった[3][2][1]。
バンドンは1842年にコーク県総督(Lord Lieutenant of Cork)[訳語疑問点]に任じられ、没するまでその地位にあった[2][1]。また1845年には王立協会のフェローにも選出された[4]。
妻はカシェル大司教チャールズ・ブロードリックの娘メアリ・スーザン・アルビニア・ブロードリックで、1809年3月13日にカシェル大聖堂で結婚した[3][2][1]。彼女との間に爵位を継承したフランシスのほか、チュアム・キララ・アチョンリー主教となったチャールズ・バーナードらをもうけた。
1856年にコーク県バンドンのバーナード城で死去し、同地に葬られた[1]。
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