シンソ・デ・リミア
スペインの町 ウィキペディアから
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シンソ・デ・リミア(ガリシア語: Xinzo de Limia)は、スペイン・ガリシア州オウレンセ県のムニシピオ(基礎自治体)。コマルカ・ダ・リミアに属する。ガリシア統計局によれば、2013年の人口は10,307人(2010年:10,245人、2009年:10,161人、2008年:10,033人、2006年:9,999人、2005年:9,930人、2004年:9,869人、2003年:9,821人)[1]。住民呼称はlimiao/-iá。カスティーリャ語表記はGinzo de Limia(ヒンソ・デ・リミア)。
ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は、96.57%(2001年)。
シンソ・デ・リミアはオウレンセ県の南部に位置し、コマルカ・ダ・リミアに属する。北はサンディアス、シュンケイラ・デ・アンビーア、サレアウスと、東はトラスミーラス、南はクアレドロ、バルタール、オス・ブランコスと、西はポルケイラ、ライリス・デ・ベイガ、ビラール・デ・サントスの各自治体と隣接する。自治体中心地区はシンソ・デ・リミア教区のシンソ・デ・リミア地区[2]。
コマルカ・ダ・リミアの中心自治体であり、県都オウレンセからは40kmの距離にある。自治体名は町内を流れているリミア川に由来する。
シンソ・デ・リミアはシンソ・デ・リミア司法管轄区に属し、同管轄区の中心自治体である[3]。
住民は20の教区の34の地区(集落)に分散して暮らしている[1]。
シンソ・デ・リミアの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[4]、1996年 - [5] |
シンソ・デ・リミアは、ローマの支配期に定住していた部族のLimiciの特徴を今に伝えている。自治体の北部にはブラガとアストルガを結ぶ、古代ローマの街道跡(vía XVIII)が今も残っている。町は、ポルトガル王アフォンソ・エンリケスによって、数度征服された歴史を持つが、最終的にはアストゥリアス王アルフォンソ2世によって奪い返され、郡(condado)が創設された。
1927年にはモレイラ地区(教区)がシンソ・デ・リミアに編入された。
自治体首長はガリシア国民党(PPdeG)のアントーニオ・ペレス・ロドリゲス(Antonio Pérez Rodríguez)[6]、自治体評議員はガリシア国民党:9、ガリシア民族主義ブロック(BNG):3、ガリシア社会党(PSdeG-PSOE):3、A.P.Ga.[7] :1、AIDAL[8]:1となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[9]。
首長当選者:ゴンサーロ・イグレシアス・スエイロ(PSdeG)[13] |
首長当選者:イサーク・ビラ・ロドリゲス(PPdeG) |
首長当選者:イサーク・ビラ・ロドリゲス(PPdeG) |
首長当選者:アントーニオ・ペレス・ロドリゲス(PPdeG) |
シンソ・デ・リミアは20の教区に分けられている。太字は自治体中心地区のある教区[2]。
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