シャーンドル・コチシュ
ハンガリーのサッカー選手 (1929-1979) ウィキペディアから
シャーンドル・コチシュ(ハンガリー語:コチシュ・シャーンドル、Kocsis Sándor、1929年9月21日[3] - 1979年7月22日)は、ハンガリー出身のサッカー選手。ポジションはフォワードで、主にセンターフォワードを務めた。
経歴
177cmと目を引くほどの長身ではなかったがヘディングを得意とし、黄金の頭という異名を取った[4][5]。1950年代前半にマジック・マジャールと呼ばれたハンガリー代表の中心選手の一人で、1954年に開催された第5回ワールドカップ・スイス大会で11得点を挙げ得点王となった[4]。この時の1試合平均2.20得点(=5試合で11得点)という記録は2014年の時点で破られていない(第6回ワールドカップ・スウェーデン大会におけるジュスト・フォンテーヌは、6試合で13得点=1試合平均2.17得点である)。
1956年のハンガリー動乱の影響でスペインに亡命し、以後はチボル・ゾルターンとともにFCバルセロナ(当時はCFバルセロナ)でプレーした[4]。
晩年は胃がんのほか、アテローム性動脈硬化を患い左足を切断した[6]。1979年7月22日に49歳で亡くなったが、誤って病院から転落をしたとも、自ら飛び降りたとも言われている[6]。
1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で68位に選出された。
所属クラブ
- 1945-1950
フェレンツヴァーロシュ/ÉDOSZ
- 1950-1957
ホンヴェード
- 1957-1958
ヤング・フェローズ
- 1958-1965
FC バルセロナ
代表歴
- ハンガリー代表 1948-1956
- 代表デビュー:1948年6月6日
- 代表通算:68試合出場 75得点
- 1954 FIFAワールドカップ出場。
個人タイトル
- ワールドカップ得点王:1回(1954 FIFAワールドカップ 11得点)
- 20世紀世界最優秀選手 39位 (国際サッカー歴史統計連盟 1999)
脚注
外部リンク
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