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サンドラ・ポスト、CM(Sandra Post, CM、1948年6月4日 - )は、カナダの元女子プロゴルファー。全米女子プロゴルフ協会(LPGA)ツアーでプレーした最初のカナダ人である。ルーキーイヤーであった1968年に当時のメジャー選手権最年少優勝記録であった20歳で、メジャー選手権の一つ全米女子プロゴルフ選手権に勝利した。
Sandra Post | |
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基本情報 | |
名前 | サンドラ・ポスト |
生年月日 |
1948年6月4日(76歳) カナダ オンタリオ州オークビル |
身長 | 163センチメートル (5.35 ft) |
配偶者 |
ジョン・エリオット・ジュニア (1970年結婚)[1][2] |
経歴 | |
プロ転向 | 1968年 |
以前のツアー | LPGAツアー(1968-83年) |
プロ勝利数 | 10勝 |
優勝数 | |
LPGAツアー | 8勝 |
日本LPGA | 1勝 |
他ツアー | 1勝 |
LPGAメジャー選手権最高成績 (優勝: 1勝) | |
ANA | 62位タイ: 1983年 |
全米女子プロ | 優勝: 1968年 |
全米女子OP | 2位タイ: 1975年 |
デュモーリエ | 7位タイ: 1979年 |
受賞 | |
LPGA新人王 | 1968年 |
16年間プレーしたLPGAツアーで計8回の優勝、1978年と1979年にはそれぞれ2勝を挙げ、カナダ人としては初めての同一シーズン中の複数回優勝であった。次のカナダ人によるシーズン2勝は、2000年にローリー・ケーンが果たした[3]。1988年、カナダゴルフ殿堂とカナダスポーツ殿堂の双方に選出された[4]。2004年、メンバー(CM)としてカナダ勲章を受勲した[4]。
オンタリオ州オークビルで生まれ、5歳で父親からゴルフの手ほどきを受けた[5]。早熟の天才として近所のトラファルガー・ゴルフ&カントリークラブでゴルフを学んだ。13歳からオンタリオ州の大会に出場し、オンタリオ州とカナダのジュニア女子選手権でそれぞれ3回優勝するなど優れた成績を収めた[5][6]。
大学へは進学せず1968年の春にプロに転向、19歳でLPGAツアーに参戦した[5]。ルーキーイヤーの1968年、全米女子プロゴルフ選手権に優勝し、女子メジャー選手権を獲得した最年少選手となった。ディフェンディング・チャンピオンであるキャシー・ウィットワースとの18ホールのプレーオフを68対75で制し、これはアメリカ人以外のプレーヤーによる選手権での最初の勝利でもあった。2016年に18歳のブルック・ヘンダーソンが全米女子プロに勝利するまで、48年間に亘りLPGAメジャー選手権で優勝した唯一のカナダ人であった。同年ツアーの好成績により、LPGAルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
その後は1978年まで、LPGAツアーで勝利を収めることが出来なかった。1974年12月、LPGAツアー外の試合ではあるが、オーストラリアのメルボルンで開催されたコルゲート・ファーイースト・オープンで優勝[7]。
1978年から1981年にかけて全盛期を迎え、LPGAツアー通算8勝のうちの7勝を挙げ、世界的トッププレーヤーの1人となった。1978年と1979年にはコルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークルで連覇を果たした[8][9]。1979年、LPGAマネーランキング2位となり、カナダの年間最優秀スポーツ選手としてルー・マーシュ賞を受賞した。プロツアーの16年間で、1975年の全米女子オープンを含め20回に亘り2位の成績を収めた。
長引く負傷により、1980年代半ばまでに殆どのLPGAツアーから引退したが、その後も時折競技に参加しした。 1988年、カナダのスポーツ殿堂とゴルフ殿堂に選出された[4]。1999年、オンタリオ州スポーツ殿堂入り[10]。2003年、カナダ勲章のメンバー(CM)として受勲した[4]。20世紀のカナダのアスリートとして女性の8位に選ばれた。
ポストはカナダのネイションズ・カップチームのキャプテンを務め、カナダで放映されるゴルフイベントの解説者を務め、数誌のカナダの雑誌にゴルフの解説記事を書いている。多くの慈善活動に携わっていて、トロント近郊にサンドラ・ポスト・ゴルフスクールを運営している。自身のゴルフアパレル会社を持っており、ジャズ・ゴルフ・カンパニーのために女性用ゴルフクラブのシリーズを設計した。
凡例 |
LPGAメジャー選手権 (1勝) |
その他のLPGAツアー (7勝) |
No. | 日付 | トーナメント | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
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1 | 1968年6月23日 | 全米女子プロゴルフ選手権 | +2 (72-75-74-73=294) | プレーオフ | キャシー・ウィットワース |
2 | 1978年4月2日 | コルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークル | –5 (65-74-72-72=283) | プレーオフ | ペニー・プルツ |
3 | 1978年8月20日 | レディー・ストローズ・オープン | –2 (69-71-71-75=286) | プレーオフ | パット・メイヤーズ キャシー・ウィットワース |
4 | 1979年4月8日 | コルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークル (2) | –12 (68-70-68-70=276) | 1打差 | ナンシー・ロペス |
5 | 1979年5月13日 | レディー・ミケロブ | –9 (72-69-69=210) | 2打差 | パット・ブラッドリー |
6 | 1979年9月23日 | ERAリアル・エステート・クラシック | –8 (71-73-70-70=284) | 2打差 | ドナ・カポニ |
7 | 1980年8月3日 | ウェストバージニアLPGAクラシック | –5 (69-69-73=211) | プレーオフ | ドナ・カポニ |
8 | 1981年6月7日 | マクドナルド・キッズ・クラシック | –6 (69-69-73-71=282) | 2打差 | エイミー・オルコット |
注: コルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークル(後のANAインスピレーション)は当時はメジャー選手権では無かった。
LPGAツアー プレーオフの記録 (4勝2敗)
No. | 年 | トーナメント | 対戦相手 | 結果 |
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1 | 1968年 | 全米女子プロゴルフ選手権 | キャシー・ウィットワース | 18ホールプレーオフに勝利 (68対75ストローク) |
2 | 1976年 | ガール・トーク・クラシック | パット・ブラッドリー ボニー・ラウアー ジュディ・ランキン |
ブラッドリーが2ホール目パーで勝利 ラウアーとポストは1ホール目バーディーにより脱落 |
3 | 1978年 | コルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークル | ペニー・プルツ | 2ホール目パーで勝利 |
4 | 1978年 | レディー・ストローズ・オープン | パット・メイヤーズ キャシー・ウィットワース |
2ホール目バーディーで勝利 |
5 | 1979年 | エリザベス・アーデン・クラシック | エイミー・オルコット | 3ホール目イーグルにより敗退 |
6 | 1980年 | ウェストバージニアLPGAクラシック | ドナ・カポニ | 3ホール目バーディーで勝利 |
年 | 選手権 | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
---|---|---|---|---|
1968年 | 全米女子プロゴルフ選手権 | +2 (72-75-74-73=294) | プレーオフ | キャシー・ウィットワース |
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