サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院
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サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院(サンタ・マリア・デ・グアダルーペおうりつしゅうどういん、スペイン語:Real Monasterio de Nuestra Señora de Guadalupe)は、スペイン・エストレマドゥーラ州カセレス県グアダルーペにある修道院。4世紀以上に渡って、国で最も重要な修道院とされてきた。ユネスコの世界遺産に登録されている。
サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院 | |
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概要 | |
修道会 | 聖アウグスチノ修道会 |
創立 | 13世紀頃 |
修道院の始まりは13世紀後半である。カセレス県の羊飼いヒル・コルデロが、グアダルーペ河岸で聖母像を発見したのである。この像は、ムーア人侵攻のあった714年に明らかに地元住民が隠した物だった。この発見の場所に、礼拝堂が建てられた。
カスティーリャ王アルフォンソ11世は一度以上この礼拝堂を訪れ、サラードの戦いの勝利を『グアダルーペの聖母マリア』に祈った。戦いで勝利をおさめると、王は聖母の取りなしのおかげで勝利したとして、王家の聖地としてグアダルーペの教会と資金を提供しての再建計画を引き受けた。
1389年、聖アウグスチノ修道会に属する修道士たちが修道院を引き継ぎ、彼らの主要な家とした。建設は初代院長の命のもと続けられ、1474年にエンリケ4世、次に彼の生母マリア・デ・アラゴンが埋葬された。
修道院は『グアダルーペの聖母』が崇敬されるメキシコのグアダルーペ大聖堂など新世界の信仰共同体を持ったことから裕福であった。エストレマドゥーラのこの地は、1492年にアメリカ大陸を発見後のクリストファー・コロンブスが最初の巡礼地とした。ここで初めて彼は、自身の発見を神に感謝したのである。
グアダルーペ出身の修道士たちが、マドリード近郊のエル・エスコリアル修道院設立後も、サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院は王家の庇護を受けた。1835年の修道院の世俗化まで、修道院はスペインにおける重要な隠遁地であった。20世紀、修道院はフランチェスコ会とローマ教皇ピウス12世によって復興し、1955年に小聖堂が教皇庁聖堂とされた。
建築物が幾世紀も発展させられた修道院は、未だアルフォンソ11世と彼の後継者たちが建てた14世紀から15世紀の『テンプロ・マヨール』(主礼拝堂)が占めている。四角いサンタ・カタリーナ礼拝堂は15世紀のものである。17世紀の装飾を凝らした墓群で知られる。16世紀の聖遺物礼拝堂はバロック様式の祭器保管所(1638年-1647年)でサンタ・カタリーナ礼拝堂とつながり、フランシスコ・デ・スルバランの絵画などで華麗に飾られている。
聖堂の背後は、カマリン・デ・ラ・ビルヘンという六角形のバロック建築(1687年-1696年)である。印象的なしっくいの聖母の間で、ルカ・ジョルダーノの9枚の絵画がある。この贅沢に飾られたホールの宝石は、聖母像の冠のもので、修道院に寄進された物である。
他に知られる建築物は、壮麗なプラテレスクの入り口のあるムデハル様式の回廊(1389年-1405年)である。他に1531年から1533年にかけてのゴシック様式の回廊と、1730年にコロンブスの子孫によって委任された新教会である。しかし、「イサベル1世の宮殿」(1487年-1491年)は、1856年に取り壊された。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
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