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パラグアイのサッカー選手 ウィキペディアから
サルバドール・カバニャス・オルテガ(Salvador Cabañas Ortega, 1980年8月5日)は、パラグアイ・アスンシオン出身の元サッカー選手。元パラグアイ代表である。現役時代のポジションはFW。
2003年にチリのアウダックス・イタリアーノからメキシコのチアパスFCに移籍した。2003前期リーグでは18試合に出場して5得点だったが、2004後期リーグでは15得点を挙げた。その後も8得点、8得点、9得点と安定した成績を残した。2006後期リーグでは14得点を挙げ、得点王に輝いた。
2006年、クルブ・アメリカに移籍した。2007年のコパ・リベルタドーレスでは10得点で得点王を獲得するなど、2007年には計33得点を挙げた。パラグアイ最優秀選手賞、南米年間最優秀選手にも輝いた。2008年のコパ・リベルタドーレスでは8得点を挙げ、2度目の得点王に輝いた。2009年1月18日のサントス・ラグーナ戦の2得点で、メキシコ・リーグ通算100得点を達成した。
2010年1月25日、夫人とともにメキシコシティのレストランバーに訪れたカバニャスは、トイレ内で額に22口径の銃弾を浴びた[1][2]。犯人がカバニャスと口論になり、カバニャスが「撃てるものなら撃ってみろ」と挑発したという従業員の証言もあるが[1]、何かを目的とした急襲の可能性もあるという[3]。危険な状態が続いたが、28日には夫人の手を握り返し、30日には言葉を話し、31日には食事をとれるまで回復した。2010年3月19日にはリハビリのためにアルゼンチンを訪れた[1]。2011年2月には母国のクルブ・リベルタで練習を再開し[4]、2011年8月10日には、メキシコシティのエスタディオ・アステカで行われたクルブ・アメリカ対パラグアイ代表の親善試合に出場した[5]。カバニャスはこの試合の前半はクルブ・アメリカの選手として、後半はパラグアイ代表の選手としてプレーした[6]。2011年10月にはパラグアイ代表の練習に参加するなどしてモチベーションを維持し[4]、2012年1月には、医師から現役復帰の許可を受けて古巣のドセ・デ・オクトゥブレと1年契約を交わした[7][4]。
日時 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2005年3月27日 | キト | エクアドル | 2–0 | 2–5 | 2006 FIFAワールドカップ・南米予選 |
2. | 2007年6月28日 | マラカイボ | コロンビア | 4–0 | 5–0 | コパ・アメリカ2007 |
3. | 5–0 | |||||
4. | 2007年7月2日 | バリナス | アメリカ合衆国 | 3–1 | 3–1 | |
5. | 2007年11月21日 | サンティアゴ | チリ | 1–0 | 3–0 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
6. | 2008年6月15日 | アスンシオン | ブラジル | 2–0 | 2–0 | |
7. | 2008年10月11日 | ボゴタ | コロンビア | 1–0 | 1–0 | |
8. | 2009年6月10日 | レシフェ | ブラジル | 1–0 | 1–2 | |
9. | 2009年9月5日 | アスンシオン | ボリビア | 1–0 | 1–0 | |
10. | 2009年10月10日 | プエルト・オルダス | ベネズエラ | 1–0 | 2–1 |
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