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コルネリウス・ヤンセン(Cornelius Jansen、1585年10月28日 - 1638年5月6日)は、17世紀ネーデルラントのカトリック神学者。ラテン語風にはジャンセニウス(Jansenius)とも書く。
ヘルダーラント州に生まれる。1602年にルーヴェン大学に入学する。在学中はイエズス会とミシェル・バイウス(Michael Baius)の神学上の争いにまきこまれ、結局は後者の「アウグスティヌス派」に与し、後にアベ・ド・サン・シランと呼ばれるジャン・デュヴェルジェ・ド・オランヌを友とする。学位を取得し、環境を変えてギリシア語を学ぶためにパリに赴く。バイヨンヌ近郊デュヴェルジェの司教学校で、数年間は教鞭をとる。余暇はデュヴェルジェの初期の祖先について研究したり、教会改革について計画するのに費やされた。
1616年にルーヴェンに戻り、南ネーデルラントの神学生のための寮学校で教える。ヤンセンはイエズス会から独立した学校組織をつくろうと試み、その意図を疑われてイエズス会により2回もスペインに送られ、2度目は危うく異端審問を逃れている。1630年にルーヴェン大学の聖書解釈の教授に任命され、1636年にイーペル教区の司教に任命された。その2年後にヤンセンは死去し、著作『アウグスティヌス―人間の本性の健全さについて(Augustinus;humanae naturae sanitate)』が、彼の死後の1640年に遺作として発表された。
生前に公表された政治的文書としては『Mars gallicus』(1635年)がある。
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