クーティ・ウィリアムス

アメリカのジャズトランペット奏者 ウィキペディアから

クーティ・ウィリアムス

クーティ・ウィリアムスCootie Williams1911年7月10日 - 1985年9月15日)は、アメリカの、スウィング・ジャズジャンプ・ブルース[1]R&Bトランペット奏者。

概要 クーティ・ウィリアムスCharles Williams, 基本情報 ...
クーティ・ウィリアムス
Charles Williams
Thumb
クーティ・ウィリアムス(1947年)
基本情報
出生名 Charles Melvin Williams
別名 Cootie Williams
生誕 (1911-07-10) 1911年7月10日
出身地 アメリカ合衆国 アラバマ州モービル
死没 (1985-09-15) 1985年9月15日(74歳没)
ジャンル スウィング・ジャズジャンプ・ブルースR&B
職業 作曲家、トランペッター、バンドリーダー
担当楽器 トランペット
共同作業者 1925年 - 1975年
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略歴

アラバマ州モービルに生まれる。プロとしてキャリアを、当時、14歳だったレスター・ヤングが所属していたヤング・ファミリー・バンドからはじめる[2]。1928年には、ジェームズ・P・ジョンソンとニューヨークで初めてレコーディングを行う。ニューヨークでは、短期間ながらチック・ウェブフレッチャー・ヘンダーソンのバンドでも演奏した[2]。1929年から1940年にかけてデューク・エリントン・オーケストラのメンバーとして活躍し、その名が知られるようになる。エリントン楽団への在籍期間中も、自身のセッションの録音を残している。1940年にベニー・グッドマン・オーケストラに移籍[3]、さらに1941年には自身のオーケストラを作り、チャーリー・パーカー、エディ・"ロックジョウ"・デイヴィス、バド・パウエルエディ・ヴィンソンなど、多くの重要な若手プレーヤーを登用した[2][4]

1940年末からはR&Bを演奏することが増えた。1950年代にはバンドを小規模に編成替えしたが、人気は凋落。1962年にエリントン・オーケストラに再加入し、エリントンの死後の1974年まで在籍した。1975年には第9回スーパーボウルのハーフタイムで演奏している。

クーティの演奏は、唸るような「ジャングル・スタイル」と呼ばれるトランペット奏法で知られる。またプランジャー・ミュートの使い方も独特で、のちのウィントン・マルサリスに影響を与えたとも言われる。また、ときにはボーカルもこなした。エリントン楽団での「Echoes of the Jungle」が著名。

1985年、ニューヨークにて74歳で死去。

ディスコグラフィ

リーダー・アルバム

  • The Big Challenge (1957年、Jazztone)
  • 『イン・ハイ・ファイ』 - Cootie Williams in Hi-Fi (1958年、RCA Victor)
  • Around Midnight (1959年、Jaro)
  • Cootie (1959年、Decca)
  • Porgy & Bess Revisited (1959年、Warner Bros.)
  • Do Nothing Till You Hear from ... Cootie (1960年、Warwick)
  • The Solid Trumpet of Cootie Williams (1962年、Moodsville)
  • Cootie Williams and His Orchestra 1941–1944 (1995年、Chronological Classics)
  • Cootie Williams and His Orchestra 1945-1946 (1999年、Chronological Classics)
  • Cootie Williams and His Orchestra 1946-1949 (2000年、Chronological Classics)

参加アルバム

  • デューク・エリントン : All Star Road Band Volume 2 (1985年、Doctor Jazz)
  • ジョヤ・シェリル : Joya Sherrill Sings Duke (1965年、20th Century Fox)

出典

関連項目

外部リンク

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