クレーヴェ

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クレーヴェ

クレーヴェ (Kleve, ドイツ語発音: [ˈkleːvə][2] 発音、1935年7月20日までの表記:Cleve) はドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州の都市。デュッセルドルフ行政管区に属するクレーヴェ郡ドイツ語版の行政機関が置かれている。人口は約53,000人。街の名称は絶壁 (Kliff) に由来する[3]。なおクレーフェ[4]とも表記される。「白鳥の騎士」の伝説に彩られた美しい景観の町である[5]

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紋章 地図
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基本情報
連邦州:ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区:デュッセルドルフ行政管区
郡:クレーヴェ郡ドイツ語版
標高:海抜 12 m
面積:97.8 km²
人口:

53,458人(2023年12月31日現在) [1]

人口密度:547 人/km²
市境:61.0 km
南北軸:14.8 km
東西軸:14.4 km
郵便番号:47533
市外局番:02821
ナンバープレート:KLE, GEL
自治体コード:05 1 54 036
行政庁舎の住所:Landwehr 4-6
47533 Kleve
公式ウェブサイト:www.kleve.de
行政
市長:ゾーニャ・ノルティング (Sonja Northing)
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シュヴァーネンブルク(白鳥城)
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シュヴァーネンブルクの中庭

地勢・産業

ライン川の近くに位置する都市。食品工業製靴が盛ん。オランダとの国境まで10キロ程度である。近隣の都市としては、約20キロ西にオランダのナイメーヘン、25キロ南東には古代ローマ帝国時代の遺跡が発掘されているクサンテン、55キロ南東にデュースブルクが位置する。

歴史

今日、市のランドマーク的存在となっているシュヴァーネンブルク(Schwanenburg; 白鳥城)[6]の現存最古の部分は、1190年ころに建設された[7]1242年4月24日、城下の街区は都市特権を獲得した[8]。この市とその周辺は11世紀半ば以降城主クレーヴェ伯によって代々統治された。(もっとも、古文書に最初に「クレーヴェ伯」と記載があるのは1092年である[9]。)なお、中世ドイツ宮廷文学の創始者ハインリヒ・フォン・フェルデケは『エネイーデ』(ドイツ語版「エネアス物語」)のエピローグにおいて、1174年テューリンゲン方伯ルートヴィヒ3世と結婚したと推定される”Gräfin von Kleve”(おそらく「クレーヴェ伯令嬢」)に言及している[10]。同伯爵家は神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントによりコンスタンツ公会議において、1417年公爵位を授けられ、クレーヴェ公家は1609年まで6代続いた[11]

クレーヴェ公爵家の最盛期は、16世紀であり、それを象徴する出来事が1540年のクレーヴェ公女アンナ(アン・オブ・クレーヴズ)のイングランド王ヘンリー8世との結婚である[12]。 クレーヴェ公爵家の廃絶後クレーヴェ市と公爵家領の一部は、ブランデンブルク選帝侯の領地となったが、17世紀後半、同選帝侯の代官(Statthalter)、ナッサウ公ヨーハン・モーリッツ(Fürst Johann Moritz von Nassau)の統治下、市は「昔の栄華」(16世紀の繁栄)を取り戻し、見事な景観の都市となった[13]ベルリンのウンター・デン・リンデン通りは、ここの城の周りの見事な菩提樹の並木道を真似たものである [14]

第二次世界大戦では激しい空爆を受け、シュヴァーネンブルクを含めて深刻な打撃を受けたが、戦後復興を果たした[13]

著名な人文主義者エラスムス(Erasmus ; 1469-1536)は「白鳥城」に客として頻繁に滞在している[15]

スポーツ

1.FCクレーフェが、クレーヴェを本拠地とするサッカークラブである。現在、ドイツ4部リーグに属している。

引用

関連項目

外部リンク

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