トップQs
タイムライン
チャット
視点
クリフ・ジョンソン (野球)
アメリカの野球選手 (1947-) ウィキペディアから
Remove ads
クリフォード・ジョンソン(Clifford Johnson, 1947年7月22日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州サンアントニオ出身の元プロ野球選手(一塁手、捕手、指名打者)。右投右打。
同じくプロ野球選手のマイク・イースラーは義兄弟にあたる。
Remove ads
経歴
1966年のMLBドラフト5巡目(全体83位)でヒューストン・アストロズから指名され、プロ入り。1972年9月13日にメジャーデビュー。1975年は一塁手または捕手として出場機会を得て、20本塁打を放った。だが、1976年には66試合にマスクを被って12パスボールと、フットワークの悪さを露呈してナショナルリーグの捕逸王となった。
1977年途中にトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍して以降は指名打者兼代打としての出場が多くなる。同年と翌1978年にはワールドシリーズ優勝を経験したが、1979年には同僚のリッチ・ゴセージとクラブハウスで喧嘩になり、左手親指を骨折させてしまう。これが引き金となってジョンソンはクリーブランド・インディアンスへトレードされ、移籍後に古巣と対戦した際には報復の死球を受け、ヤンキース監督のビリー・マーティンが罰金を支払うという事件もあった[1]。
その後、シカゴ・カブス、オークランド・アスレチックスを渡り歩き、トロント・ブルージェイズでプレーしていた1983年には自己最多の142試合に出場して22本塁打・76打点を記録した[2]。1986年の引退まで実働15年でメジャー史上2位[3]となる20本の代打本塁打を放っている。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 6(1972年 - 1977年途中)
- 41(1977年途中 - 1979年途中)
- 44(1979年途中 - 1980年途中、1981年 - 1985年途中、1986年)
- 7(1980年途中 - 同年終了)
- 00(1985年途中 - 同年終了)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads