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ギャンツェ県(ギャンツェけん)は中華人民共和国チベット自治区シガツェ市の県の一つ。全称は「傑卡爾孜」で、「至高無上の王宮」を意味する。ヒマラヤ山脈の麓に位置する、チベットの歴史上の第三の大都市である。1994年に中国政府から国家歴史文化名城の称号を授与された。
ギャンツェはチベットの歴史上ラサとシガツェに次ぐ第三の重鎮であり、街の中心は古都の中心であるギャンツェ・ゾン(宗山)にある。
9世紀に吐蕃王朝の後裔がこの辺りの地形の特異さを吉兆だとして山上に砦を建てた。14世紀サキャ王朝時、この地の首領が宮殿と砦を改修してチベット語で「至高無上の王宮」を意味する「傑卡爾孜」とした。江孜はその略称「傑孜」の中国語訛りであり、後に地名となった。清朝時、江孜宗の政府を宮殿内に設けこの山は「宗山」と呼ばれた。
1904年にイギリス領インドからイギリス軍が進軍してきた際に山の中腹に砲台などの防御工事を行ったものの、実力が遥かに勝るイギリス軍に対し、この地を守っていた軍隊と民衆は弾薬も食糧も尽き崖から飛び降りて死んだ。なお香港返還ののちにかけて、「江孜虐殺事件」として、中国共産党などによって喧伝されるようになった(「ラサ条約」も参照)。
1鎮、18郷を管轄:
宗山の他、県内にはパンコル・チューデ(白居寺)、パラ荘園などの名勝古跡がある。中でもパンコル・チューデは1418年に建立され、大規模で、寺内には多くの僧学院があり、チベット仏教のサキャ派とシャル派とゲルク派の大きく分けて3つが入っていて珍しいとされている。
チベット中南部のヒマラヤ山脈とカンディセ山脈との間の山谷内に位置し、ヤルンツァンポ川の支流ニャンチュ川を県境とする。全域の気候は温和、日照も充分で、物産は豊富。経済は農業が主で、主にハダカムギ、エンドウマメ、コムギ、アブラナ等を産するチベットの最も主要な食糧生産基地の一つであり、「後蔵の糧倉」の称を有す。当地で作られる絨毯は1200年の歴史があり評判がある。
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