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キエフ(ロシア語:Киев ;ラテン文字転写:Kiev )は、ウクライナ(旧ソ連)のカメラブランド。ウクライナのアーセナル工場などで製造された。ドイツの旧コンタックスの末裔であるレンジファインダーカメラのほか、中判カメラなどもラインナップしていた。
第二次世界大戦末期の1945年5月、ナチス・ドイツの降伏に伴いドイツ東部に進駐したソ連が、同年6月にドレスデンのツァイス・イコンからカメラ生産設備を「購入」の名の下に接収した。しかし、その過程において、ドイツ東部[注釈 1]からソ連に輸送・搬入する途上、ポーランドにおいて生産設備の相当の部分が盗難に遭った。更に、レニングラードからモスクワを経由してウクライナのキエフに所在するアーセナル工場に搬入することが目指されたが、輸送経路の途上で倉庫に数か月間放置されてしまった。結果的にはドレスデンから搬入されたツァイス・イコンの設備はアーセナル工場での生産開始には使えず、最終的にはイエナのカール・ツァイスに逆戻りした。
生産設備の残存ラインがイエナへ搬入された際、ソ連はカール・ツァイスに対し、「生産設備を再製作した上でカール・ツァイスでコンタックスの生産を行うこと」を指令した。カール・ツァイス側は当初「カメラ事業はツァイス・イコンであり、自社は光学機器生産に特化している」と拒否の姿勢を見せた。しかしソ連側に強く押し切られる形となり、コンタックスの生産設備の再製作がスタートした。ソ連側は生産設備を2ライン要求し、1ラインをウクライナ・キエフのアーセナル工場に搬入させた。イエナ・コンタックス・キエフIIの生産はイエナでの生産が先行して行われることとなった。
要請から2年を経過した1947年からイエナ・コンタックスとキエフIIの生産が開始されたが、ドレスデン・コンタックスの最終型とはかなりの割合で部品が異なることとなった。1947年から1949年頃までのイエナ・コンタックスおよびキエフII・IIIならびにアーセナル工場での最初期生産分のキエフII・IIIの各部品はドレスデンから接収した部品も多く使われていたが、その全てがドレスデンから接収した部品というわけではなかった。
ツァイス・イコンの生き残りの技術者達は、1945年には技術指導のためと称してソ連ウクライナ・キエフまで連行されていたが、生産ラインのイエナでの再製作もあって東ドイツイエナに戻されることとなった。イエナの生産ラインが完成した後、キエフのアーセナル工場から多くの工場技術者がイエナに出向し、入れ替わりに多くのドレスデン、イエナのツァイス側の技術者達が技術指導のためキエフに向かった。そのため、初期のキエフの精度は正にコンタックスそのものであった。
製造されたキエフの多くは輸出され、ソ連にとって貴重な外貨獲得源となった。ソビエト連邦の崩壊以降はウクライナではまったく人気がなくなり、販売も稀でウクライナ国内での入手は困難であった。他方、海外では一定の人気を維持している。
初代ミノルタ16をベースにソ連独自のカスタマイズしたもの。レンズは全てインダスター(Industar-M )23mmF3.5。
ベガ2以降のマガジンは巻き取り軸が細くなったため、ミノルタ16などには入らない。上記全機種でミノルタ16用マガジンは使用可。
6×6cm判一眼レフカメラ。
マウントはペンタコン6と共通。
初期製品はコンタックスそのものであり、その後も小改良に留まった。
レンズ側には絞りリングがなく、ボディー側から制御している。
マウント形状自体はニコンFマウントであるが、ニコン製品との互換性は保証されていない。
HはアルファベットのNに当たり、ニコンFマウントであることを表す。
ペンタコンシックスのレンズをニコンFマウントに変換するアダプターが存在した。
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