カール・ユーナス・ルーヴェ・アルムクヴィスト

ウィキペディアから

カール・ユーナス・ルーヴェ・アルムクヴィスト

カール・ユーナス・ルーヴェ・アルムクヴィスト[注釈 3]スウェーデン語:Carl Jonas Love(Ludvig) Almqvist、1793年11月28日 - 1866年9月26日)は、スウェーデンストックホルム出身の著作家詩人作曲家フェミニストリアリスト

概要 カール・ユーナス・ルーヴェ・アルムクヴィスト, 誕生 ...
カール・ユーナス・ルーヴェ・アルムクヴィスト
Thumb
sv:Carl Peter Mazerによって描かれたアルムクヴィスト(1835年
誕生 Carl Jonas Love Almqvist
(1793-11-28) 1793年11月28日
 スウェーデンストックホルム
死没 (1866-09-26) 1866年9月26日(72歳没)
自由ハンザ都市ブレーメン
ドイツ連邦
墓地 ソルナ教会英語版
職業 著作家詩人
言語 スウェーデン語
国籍 スウェーデン
最終学歴 ウプサラ大学
ジャンル 叙事詩抒情詩小説戯曲[注釈 1]
文学活動 ロマン主義
代表作野ばらの書スウェーデン語版
デビュー作アモリーナスウェーデン語版
子供 2人[注釈 2]
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示
閉じる
Thumb
ソルナ教会英語版にあるアルムクヴィストの墓石
Thumb
1823年にアルムクヴィストによって描かれた女性(サビニの女たちの略奪
Thumb
アルムクヴィスト(1843年

文学ロマン主義の最後を飾る作家で[1]、著作は小説戯曲叙事詩抒情詩を初め、地理歴史、美学、哲学の論文や社会、政治の評論数学語学の教科書まで多岐にわたって出版した[1][2]

生涯

1793年11月28日、スウェーデンのストックホルムに軍人の父]カール・グスタフ・アルムクヴィストスウェーデン語版の元に生まれる。

1808年ウプサラ大学で学び[2][3]1815年Ph.D.学位)を修得して卒業する[注釈 4]。その後はストックホルムで公務員を務めた[3]

1822年にロマン主義的処女作アモリーナスウェーデン語版[注釈 5]著すが、公務員の仕事が長く続かず、1823年に諦め、同年秋にアルムクヴィストの友人やフランスで活躍した哲学者政治哲学者、作家、作曲家であるジャン=ジャック・ルソーの思想に憧れて、ヴェルムランド地方で農民の生活を経験する[2]。自身の名前まで農民風に改めて[1]百姓の娘と結婚し、2人の子供も持つが、2年ほどで農民の生活に挫折してストックホルムに戻り、作家生活に入った[3][4]。なお1839年にはルソーの「自然に帰れ」というフレーズの影響を受けて、自身の農民生活を振り返った田園文学作品『会堂』がある。

1828年にはストックホルムの実験的な小学校(sv:Nya Elementar)の教師、1829年から1841年まで校長、1837年牧師として務めたが、仕事を見つけることができず、1839年以降は新聞『アフトンブラーデッド英語版』や雑誌『Jönköpingsbladet』の記者として働いた。

1833年から1851年まで幾度かにわたって、代表作である全14巻からなる詩集野ばらの書スウェーデン語版』を著す。

1851年6月に、証書の変造や金利的問題でユーハン・ヤコブ・フォン・シェフェン(Johan Jacob von Scheven)という老大尉ヒ素で毒殺しようとした容疑にかけられ[2]アメリカ亡命した[1]。なお、アメリカでの生活はほとんど不明で、翻訳家の田中三千夫スウェーデン文学史上で最も謎と述べている[4][注釈 6]。また、晩年のアルムクヴィストの生涯が謎であるため、アルムクヴィストの生涯と作品を共有するアルムクヴィスト学会スウェーデン語版がある。

その後、各地を放浪して貧乏のままヨーロッパに戻るが、1866年9月26日、帰途のブレーメンで没した[1][4]

作品スタイル

アルムクヴィストの初期の作品は1823年に著され、処女作でもあるロマン主義的な小説『アモリーナ』があるが、1830年代よりドイツの作家、作曲家、音楽評論家画家法律家E.T.A.ホフマンやアメリカの小説家、詩人のエドガー・アラン・ポーに影響されて自然主義文学[5]ないしリアリズム社会批判関連の作品を著すようになった[2]

様々な分野を初め、数多くの著作がある中でもアルムクヴィストの主著とされる作品が、1833年から1851年まで幾度かにわたって出版された全14巻からなる詩集『野ばらの書』である。

1834年、スウェーデン王グスタフ3世の時代を描いた小説『女王の宝石』(Drottningens juvelsmycke[注釈 7]を著す。

1839年に著され、女性解放を先駆けて扱ったフェミニズム短編小説『それでよい』(Det går an[注釈 8]は、結婚とは自分自身の問題であるため教会や国家が介入する必要はない、という主張が当時の人々を慨嘆させた[2]

また、1840年には旧幕時代日本を舞台にして、商業で成功をおさめて富豪となった一人の武士を描いた物語『御殿』がある[1]

作品

作品は参考文献に日本語題があったもののみ記載する。

  • 1822年、小説『アモリーナ』 - 1839年に改訂し、出版。
  • 1833年~1851年、詩集『野ばらの書』
  • 1834年、歴史小説『女王の宝石[注釈 7]
  • 1839年、小説『会堂』
  • 1839年、短編小説『それでよい[注釈 8]

その他

  • 戯曲『ルーナ夫人』
  • 戯曲『ラミドー・マリネスコー』
  • 小説『御殿』
  • 小説『パルジュムフ』 - 子供向きに著された作品。
  • 小説『シェルノラの水車』
  • 『オルムスとアリマン』 - 倫理的な問題を取り扱った作品。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.