艦歴
1916年2月7日起工。1917年1月24日進水。同年6月21日竣工。
1917年11月、第二次ヘルゴラント・バイト海戦に参加し、被弾損傷した。同年12月のタリン沖海戦では、ソヴィエト・ロシアの駆逐艦「スパルターク」と「アフトローイル」を拿捕し、艦隊司令官のF・F・ラスコーリニコフを捕虜とした。
1923年、英王室と姻族関係にあるギリシャ王子アンドレアス救出のため、ギリシア沖に派遣される[1]。この砲艦外交の結果、ギリシャ革命政府はアンドレアス王子一家を英国に引き渡した[1]。当時1歳であったアンドレアス王子の長男が、後にエリザベス2世の王配となるフィリッポス(英:フィリップ)であった。
第二次世界大戦開戦時は本国艦隊に所属。1939年9月24日にドイツ船「ミンデン (Minden)」を捕捉し、「ミンデン」は自沈した。また、11月22日にはアイスランド沖でドイツ船「コンスル・ヘンドリック・フィッサー (Konsul Hendrik Fisser)」を拿捕した。その後地中海へ移動。イタリアの参戦後最初の地中海艦隊の出撃でアレクサンドリアから出撃した「カリプソ」は、1940年6月12日にクレタ島の南でイタリア潜水艦「バニョリーニ (Bagnolini)」の雷撃 によって撃沈された。乗員39人が戦死した。
参考文献
- 黒岩徹『物語 英国の王室 おとぎ話とギリシア悲劇の間』中央公論新社〈中公新書〉、1997年1月。ISBN 978-4121013415。
脚注
関連項目
外部リンク
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