カポエイラ
ブラジルの格闘技 ウィキペディアから
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カポエイラ(葡: capoeira)は、ブラジルの奴隷達が練習していた格闘技と音楽、ダンスの要素が合わさったブラジルの文化。カポエラと言うこともある。2008年にブラジル国内の無形文化財として登録される[1]。2014年11月には、ユネスコによって無形文化遺産に登録された[2]。
Capoeiraという語は南米の言語であるグアラニー語のcaá puéraから来ているとされる。caáは「森」を、puéraは「存在していたもの」を意味し、caá puéraで、「刈られた森」「消滅した森」となる。
1500年4月22日、ポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラルはブラジルを発見し、ポルトガルはブラジルを植民地化した。ポルトガル人はパウ・ブラジルの枯渇後、サトウキビなどのプランテーションを耕作させるための労働力としてアフリカ大陸のアンゴラやコンゴ、モザンビーク、西アフリカから多くの黒人を連行して人身売買を行い、黒人は奴隷として酷使された。カポエイラの源流は未だに不明な点が多い。アフリカの土着格闘技として、すでにこの頃よりも以前に存在していたと言われる他、インディオがカポエイラをしているのをポルトガル航海士マルティン・アフォンソ・デ・ソウザが目撃していると言われている。カポエイラ界では、今のところカポエイラはアフリカではなく、ブラジルで生まれたという説が多く支持されている。よって、アフリカからブラジルに伝播した文化的要素がカポエイラに影響を与えた可能性はあるにしろ、アフリカ起源というのには語弊がある。例えば、奴隷小屋(senzala)は、宗主国ポルトガルやアフリカには当然存在せず、そうした特異な環境がカポエイラを生み出していったと考えられる。
また、カポエイラの基本ステップ、ジンガが速さと足の間隔の違いがあるにせよ、サンバの基本ステップに酷似している。サンバの原型が輪になって中心にダンサーが飛び出して踊ること、もともとのサンバの原型が胸をつきだして踊るなど、サンバとの関係が深い。
1808年1月23日にリスボンからリオデジャネイロにポルトガル王室が移転したため、ポルトガル・ブラジル連合王国が樹立され、ポルトガル王ジョアン6世とブラジル皇帝ペドロ1世は、1808年から1831年まで特別警察を設置、アフリカ文化の抑圧を行った。1888年5月13日に黄金法によって奴隷制は廃止されたものの、その後も解放されたアフリカ系ブラジル人の元奴隷への差別は依然として続き、カポエイラは権力に抵抗する手段とみなされ1892年から1932年まで禁止されていた。
こうした背景の中、カポエイラは黒人奴隷が、看守にばれないようダンスのふりをして修練した格闘技といわれる。手かせをされていた奴隷が、その拘束をとかれないまま鍛錬した格闘技の為、足技を中心に発展したとされるが、これは後世の想像と見られている。
現在は空手やテコンドー・ムエタイ等の他国の格闘技との技法交流に伴い拳法技術を用いた技法も導入されたため、足技だけの格闘技ではなくなっているが、手による攻撃は依然少なく、地面に手をついて蹴ったり、逆立ちをしたり、アクロバティックな独特の動きを持つ。
ブレイクダンスなどにも影響を与えた。また、踊りの練習をしているように見せかけるため、音楽とともに練習したと言われており、ビリンバウやパンデイロ等の楽器をつかった伴奏が付き物である。
一部ではナイフ術が併伝されている。ジンガの動きから刺しに行く技が幾つかあるほか、ナイフを指に挟んで蹴るナイフ蹴りがある[3]。これらの技もバイーアで生まれたとされる。
大きく二つの流派が存在する。近年は様々な要素を混ぜたコンテンポラーニアと言う新しいスタイルも生まれている。流派と言ってもグループによっては流派の区別を作らず、カポエイラとして様々なスタイルを練習する場合もある。
1928年にメストレ・ビンバ(Mestre Bimba、本名:Manuel dos Reis Machado)が多くの格闘技を研究し、創始した。より格闘技的なスタイル。創始した当時はさほどではなかったが、激しくアクロバティックな動きも特徴。一般的に知られているカポエイラはこちらの系統の流派。屋内でカポエイラ教室を初めて開き、1930年代にはブラジル北東部のバイーア州サルヴァドールで世界初の道場を開校した。当時の独裁者ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス大統領によるブラジルのナショナリズム称揚と国民文化を見直す運動が強まる中、上流階級の子弟までもがカポエイラを習い、また、ヴァルガスに招かれてデモンストレーションを行ったことからも、ビンバは奴隷の文化からのカポエイラの地位を向上させた存在といえる。このような努力により、市民権を得るまでカポエイラを発展させた。もともと禁止されていた英語読みでリージョナルと表記する例も散見されるが、ポルトガル語の発音にはヘジォナウが近い。
メストレ・パスチーニャ(Mestre Pastinha、本名:Vicente Ferreira Pastinha)がまとめた流派。彼は奴隷でない身分の者にもカポエイラを教えた革命児。カポエイラの師であるアフリカ人ベネジートの出身地だったブラジルのアンゴーラ地方(この地方の名前はアフリカのアンゴラに由来する)から名前をとった。儀式的でどちらかといえばゆったりした動きが特徴。飛び跳ねるような派手な動作はあまり行わず、動物の動きをまねたアフリカ土着の格闘技に近い。パスチーニャは1941年にサルヴァドールでアンゴーラの本格的な道場を開いた。実は全てのカポエイラの源流はこのアンゴーラに行きつくと言われている。
階級と、それに対応する帯の色はグループにより異なる
下記の順序の階級であるグループが多い。
,Cordao de Contas の Mestre Tigre 、Grupo de Capoeira Angola Pelourinho(GCAP) の Mestre Kenji が居る。Mestr SAMURAI は日本人メストレとして初めて国内でBatizadoを開催している唯一の日本人。 また、日本人メストレはまだ数少ないので、ブラジルからメストレを招聘してバチザード(洗礼式または、最初の授与式。この時に、帯(コルダオン)とともにメストレから『あだ名』を授かるを行うことが多い)を行う。
基本的
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