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カイ・ウィンディング[1](Kai Winding、1922年5月18日 - 1983年5月6日)は、デンマーク系アメリカ人のジャズ・トロンボーン奏者で作曲家。同じトロンボーン奏者のJ・J・ジョンソンと首尾好く共演を果たしたことで名高い。
デンマークのオーフスに生まれ、1934年に家族に連れられアメリカ合衆国に移住する。1940年にニューヨークのスタイヴサント・ハイスクールを卒業すると、同年よりショーティ・アレン楽団に入団してプロのトロンボーン奏者として音楽活動に入る。その後まもなくソニー・ダナムやアルヴィノ・レイと共演した。第2次世界大戦中は兵役に就いてアメリカ沿岸警備隊に勤めた。戦後はベニー・グッドマン楽団に加わり、後にスタン・ケントン楽団に移籍した。1949年にはマイルス・デイヴィスのアルバム『クールの誕生』のセッションにも参加しており、第4トラックから第12トラックにかけてその演奏を確かめることができる。1954年に音楽プロデューサーのオジー・カデナに催促されて、J・J・ジョンソンと協力し合ってトロンボーン二重奏による一連の録音に着手し、大成功を収める。当初はサヴォイ・レコードへの録音だったが、後にコロムビア・レコード用に録音が行われた。コロムビアでは、管楽器のさまざまな編成を試みており、トロンボーン八重奏を取り上げたアルバムのうち少なくとも1枚でトロンボニアムを採用している。
1960年代は長らくヴァーヴ・レコードに籍を置き、音楽プロデューサーのクリード・テイラーのもとで、とりわけ忘れがたい数点のジャズ・ポップのアルバムを制作した。この時期で最も有名な録音は、映画『世界残酷物語(イタリア語: Mondo Cane)』のテーマ曲「モア(英語: More)」である。このヒット曲の編曲と指揮は、クラウス・オガーマンが務めた。この録音は、フランスの電子楽器オンディオリーヌ(Ondioline)がアメリカ合衆国で録音に使われた恐らく最初の例である。このセッションに参加したギタリストのヴィニー・ベルの回想によると、公式のクレジットにはウィンディングがオンディオリーヌを担当したと表記されているものの、実際に演奏したのはフランス人のジャン=ジャック・ペリーだった。
ヴァーヴ・レコード在籍中のウィンディングは、さまざまな楽器編成を徹底的に試してソロ・アルバムを制作し、アニタ・カー・シンガーズと共同でカントリー・ミュージックのアルバムさえ作っている。1960年代後半には、クリード・テイラーに従って新レーベルのA&MやCTIに移籍し、J・J・ジョンソンと少なくとも2枚のアルバムを制作した。1970年代から1980年代初頭にかけては、多数のインディペンデント・レーベルに録音を行なった。この間に、短期講座やジャズ・コンサートを開き、また日本でのライブでJ・J・ジョンソンと再会を果たしている。ソロの譜例つきでジャズ・トロンボーンの教則本も上梓した。
1983年に脳腫瘍により逝去。エシュワン未亡人(Eschwan)は熟練した画家であった。
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