オーバーギュンツブルク
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オーバーギュンツブルク (ドイツ語: Obergünzburg) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州シュヴァーベン行政管区のオストアルゴイ郡に属す市場町で、オーバーギュンツブルク行政共同体の本部所在地である。
紋章 | 地図 (郡の位置) |
---|---|
基本情報 | |
連邦州: | バイエルン州 |
行政管区: | シュヴァーベン行政管区 |
郡: | オストアルゴイ郡 |
市町村連合体: | オーバーギュンツブルク行政共同体 |
緯度経度: | 北緯47度50分50秒 東経10度25分15秒 |
標高: | 海抜 737 m |
面積: | 46.69 km2 |
人口: |
6,543人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 140 人/km2 |
郵便番号: | 87634 |
市外局番: | 08372 |
ナンバープレート: | OAL, FÜS, MOD |
自治体コード: |
09 7 77 154 |
行政庁舎の住所: | Marktplatz 1 87634 Obergünzburg |
ウェブサイト: | www.oberguenzburg.de |
首長: | ラルス・レーフェリングハウス (Lars Leveringhaus) |
郡内の位置 | |
地図 | |
オーバーギュンツブルクはアルゴイ地方に位置する。
この町は、公式には56の地区 (Ort) からなる[2]。このうち小集落や孤立農場などを除く集落を以下に列記する。
この町の起源はローマ時代にまで遡ることができる。オーバーギュンツブルクはオーバーギュンツブルクはループレヒト・フォン・プファルツから1407年に重要な諸権利とともに市場開催権を与えられた。1688年からケンプテン修道院の管理局の所在地となった。1803年の帝国代表者会議主要決議以降、この町はバイエルン領となった。1879年までオーバーギュンツブルクは地方裁判所の所在地であった。残っていた区裁判所も1959年にマルクトオーバードルフに移転した。1972年にブルク、エーバースバッハ、ヴィルローフスが合併した。
外国人比率は2005年時点で約4%である。
2005年時点で、住民の75%がローマ・カトリック、10%がプロテスタント・ルター派、15%がその他の宗教の信者である。
町長は2007年2月からラルス・レーフェリングハウスが務めている。彼はヘルベルト・シュミットの後任である。
図柄: 左右二分割。向かって左はさらに赤字と青地に上下二分割。向かって右は銀地で、3本の青い波帯の上に浮かぶ黒い衣装を着て金の冠を被ってこちらを見る聖女ヒルデガルトの胸像。
地元で最大の企業はガプラー=ザルティアー・ミルク工場である。ここではコーヒーミルク、コンデンスミルク、ミルク入り飲料、粉ミルク、さらにはベビーフードや病者用食品の素材製品を製造している。
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