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日本のアメリカンフットボールチーム ウィキペディアから
オリエンタルバイオシルバースター(英: OrientalBio silverstar)は、日本の神奈川県横浜市と川崎市に本拠地を置くアメリカンフットボールのクラブチーム。Xリーグ1部のX1 Superに所属する。
オリエンタルバイオシルバースター OrientalBio silverstar | |
---|---|
創設:1970年(54年前) | |
加盟:1970年シーズン | |
リーグ | |
Xリーグ・X1 Super | |
チーム名 | |
| |
ホームタウン | |
神奈川県横浜市・川崎市 | |
チーム情報 | |
愛称 | シルバースター |
チームカラー |
ネイビーブルー シルバー |
メインスポンサー | オリエンタルバイオ |
GM | 藤縄大樹 |
ヘッドコーチ | 有馬隼人 |
公式サイト | https://silverstar-football.com/ |
獲得タイトル | |
JXB優勝(4回) | |
1989年・1992年・1993年・1999年 | |
地区優勝(3回) | |
1997年・2006年・2009年 | |
ライスボウル優勝(3回) | |
1993年・1994年・2000年 |
メインスポンサーはオリエンタルバイオ。現在、クラブ事務局を川崎市内に置き、練習場は川崎市川崎区の富士通スタジアム川崎である。
1970年、クラブチームとしてシルバースター創部。チーム名は「日本のアメリカンフットボール界の輝ける星を目指し、日本の頂点で輝く銀の星になる」事を目標に名付けられた。関東・関西ほか全国の色々な大学出身者らで構成されている。
1989年、当時、アサヒビール(法人としては現:アサヒグループホールディングス)代表取締役社長だった樋口廣太郎は、母校のチームである京都大学ギャングスターズの活躍を通じてアメリカンフットボールへの関心を高めていたが、折りしも関西学院大学ファイターズOBの鈴木智之を介して、クラブチーム運営の苦境を知らされ、シルバースターへのスポンサー参加を決意する。以後、アサヒビールは30年以上にわたりチームをサポート。1993年、94年にはライスボウル連覇を果たした。また、アサヒビールのスポンサード開始の1989年以降、下位リーグとの入替戦出場、及び下位リーグへの降格は一度も無かった。
2024年1月、2024年度からオリエンタルバイオがメインスポンサーとなり、チーム名がオリエンタルバイオシルバースターとなることが発表され、ロゴも一新した。チーム運営⺟体は、公共性の⾼い組織を⽬指して設⽴した⼀般社団法⼈SILVERSTARに移行する[1][2]。
これまで、社会人日本一を4回、ライスボウル制覇を3回経験。リーグ戦では苦しみながらもFINALには常連出場のチームである。創部以来チームを率いた阿部敏彰は過去3回のアメリカンフットボールワールドカップで日本代表チームの監督を務めた。
現在は川崎市の富士通スタジアム川崎を練習グラウンドに使用しており、平日は選手は勤務後に自主練習している。週末のチーム全体練習は午前中に行われることが多い。
「スポーツを通じた児童保育・素養拡大」を目的にキッズのフラッグフットボールチーム「kids silverstar」を運営。またキッズのチアリーダー「kids silverstar cheerleaders」も活動している。
また、川崎市の「かわさきSDGsパートナー」として、SDGs達成に向けた取り組みを進めている。
()内はシーズン年度
()内はライスボウル開催年
優勝 | 準優勝 | 昇格 | 降格 |
年度 | 所属 | レギュラーシーズン | Final6(プレーオフ) | |||
---|---|---|---|---|---|---|
勝 | 負 | 分 | 順位 | |||
1997 | X EAST | 5 | 1 | 0 | 1位 | セミファイナル敗退(松下電工) |
1998 | X EAST | 4 | 1 | 0 | 2位 | 東京スーパーボウル敗退(リクルート) |
1999 | X CENTRAL | 4 | 1 | 0 | 2位 | 東京スーパーボウル優勝(鹿島ディアーズ) |
2000 | X EAST | 4 | 2 | 0 | 2位 | ワイルドカード敗退(対アサヒ飲料) |
2001 | X CENTRAL | 4 | 2 | 0 | 2位 | ワイルドカード敗退(対アサヒ飲料) |
2002 | X CENTRAL | 3 | 3 | 0 | 3位 | |
2003 | X EAST | 6 | 2 | 0 | 2位 | JXB敗退(オンワードオークス) |
2004 | X EAST | 5 | 4 | 0 | 2位 | JXB敗退(松下電工) |
2005 | X CENTRAL | 9 | 2 | 0 | 2位 | セミファイナル敗退(オービック) |
2006 | X CENTRAL | 7 | 2 | 0 | 1位 | ワイルドカード敗退(鹿島ディアーズ) |
2007 | X EAST | 6 | 1 | 0 | 3位 | |
2008 | X EAST | 9 | 3 | 0 | 3位 | |
年度 | 所属 | 1stステージ | 2ndステージ | Finalステージ | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
勝 | 負 | 分 | 順位 | ||||
2009 | X EAST | 8 | 2 | 0 | 1位 | Super9:1勝1敗 | ファイナルステージ敗退(対富士通) |
2010 | X EAST | 6 | 4 | 0 | 3位 | Super9:0勝2敗 | |
2011 | X CENTRAL | 5 | 3 | 1 | 3位 | Super9:0勝2敗 | |
2012 | X EAST | 6 | 3 | 0 | 3位 | Super9:1勝1敗 | |
2013 | X EAST | 4 | 3 | 0 | 3位 | Super9:1勝1敗 | |
2014 | X CENTRAL | 5 | 3 | 0 | 3位 | Super9:0勝2敗 | |
2015 | X CENTRAL | 6 | 1 | 0 | 3位 | Super9:0勝2敗 | |
※2022年からはX1 SuperがDiv.AとDiv.Bの2ディビジョンに分かれて実施。
日本大学出身。1999年社会人選手権及び2000年ライスボウル(第53回日本選手権)優勝。第1回W杯大会優勝メンバー。株式会社ピケンテクノ代表取締役社長。
関西学院大学出身。第40回甲子園ボウル出場。ホリコキャピタルマネジメント代表。
東京大学出身。1999年社会人選手権及び2000年ライスボウル(第53回日本選手権)優勝メンバー。ドイツ銀行、マッキンゼー、(株)あきんどスシロー専務、ゼビオ(株)代表取締役社長を経て、まん福ホールディングス株式会社代表取締役社長。
京都大学出身。(株)グロービス共同設立者兼最高責任者、(株)サイバード取締役を経て、ミドクラジャパン代表取締役。
明治大学出身。1999年社会人選手権及び2000年ライスボウル(第53回日本選手権)優勝メンバー。ソニー株式会社、レピュコムジャパン株式会社代表取締役社長、ニールセンスポーツ北アジア代表、格闘技団体のONE Championshipジャパンの代表取締役社長を経て、三遠ネオフェニックス国際部門バイスプレジデント兼ジェネラルマネジャー。
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