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ガラスメーカー ウィキペディアから
株式会社オハラ(英: OHARA Inc.)は、1935年(昭和10年)日本で最初に設立された光学ガラス専業メーカー。光学ガラス分野では、世界でも代表的なメーカーとなっている。
種類 | 株式会社 |
---|---|
機関設計 | 監査役会設置会社[1] |
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒252-0205 神奈川県相模原市中央区小山一丁目15番30号 |
設立 |
1941年(昭和16年)11月1日 (有限会社小原光学硝子製造所) |
業種 | ガラス・土石製品 |
法人番号 | 4021001011600 |
事業内容 | 光及びエレクトロニクス事業機器向けガラス素材の製造・販売 |
代表者 | 齋藤弘和 (代表取締役社長執行役員) |
資本金 | 58億5,500万円 |
発行済株式総数 | 25,450,000株 |
売上高 |
連結:246億2,876万1千円 単独:139億3,151万3千円 (2017年10月期) |
営業利益 |
連結:17億1,529万4千円 単独:8,466万0千円 (2017年10月期) |
経常利益 |
連結:22億4,254万8千円 単独:12億3,084万9千円 (2017年10月期) |
純利益 |
連結:15億1,366万6千円 単独:18億1,736万8千円 (2017年10月期) |
純資産 |
連結:412億490万1千円 単独:286億943万9千円 (2017年10月31日現在) |
総資産 |
連結:544億3,371万3千円 単独:381億6,643万5千円 (2017年10月31日現在) |
従業員数 |
連結:1,731人 単独:409人 (2017年10月31日現在) |
決算期 | 10月31日 |
会計監査人 | 東陽監査法人 |
主要株主 |
セイコーグループ株式会社 18.5% キヤノン株式会社 18.4% 京橋起業株式会社 18.4% 三光起業株式会社 6.4% 株式会社トプコン 2.6% セイコーインスツル株式会社 2.4% オリンパス株式会社 1.6%(2017年10月31日現在) |
主要子会社 |
株式会社オーピーシー 100% 株式会社オハラ・クオーツ 78.9% 小原光学(香港)有限公司 100% 足柄光学株式会社 100% |
関係する人物 | 小原甚八(創業者) |
外部リンク | https://www.ohara-inc.co.jp/ |
創業者の小原甚八は、大日本帝国海軍の造兵廠に勤務し、柴田理八の下で光学ガラスの試作に従事した。その後大日本帝国海軍は、光学ガラス製造を日本光学工業(現ニコン)に譲渡したため、小原は日本光学工業で光学ガラスの製造に従事するが、1935年(昭和10年)に日本光学工業を退社し、蒲田に個人事業として小原光学硝子製造所を設立した[2]。
なお、設立当時に資金を提供したのが服部時計店(現在のセイコーグループ)であった関係で、セイコーは現在も筆頭株主で、直接所有分と京橋起業や三光起業、セイコーインスツルを介した間接所有分を合算すると、40%強の議決権を保有している[3]。
レーダーの性能が飛躍的に向上するまで、情報戦の主役は光学兵器であった。日本の場合、大日本帝国海軍に光学兵器を供給していたのが日本光学工業であり、大日本帝国陸軍に供給していたのが東京光学機械(現トプコン)であった。小原光学硝子は、東京光学機械が精工舎の測量機部門が独立したものだった関係から、東京光学機械の光学ガラス供給源となった[2]。小原光学硝子は、その他のメーカーにも光学ガラスを供給していたため、太平洋戦争の全期間を通じ、ガラス生産量は日本光学工業を超えて国内最大となっていた。
だが、その需要の大半が軍需産業に依存していたため、終戦によって需要が激減、小原光学硝子の経営は危機に瀕した。その時期に手がけるようになったのが、装飾用クリスタル・ガラスで、現在でも製造が続いている。
キヤノンはそれまで日本光学工業からレンズの供給を受けていたが、終戦に伴って日本光学工業が大量解雇した従業員の一部を雇用し、小原光学硝子からガラスの供給を受けることで、レンズの自社生産が可能になった。その後キヤノンは小原光学硝子に資本参加し、現在ではセイコーに次ぐ大株主となっている。[3][4]
小原光学硝子の名を上げた製品が、1975年(昭和50年)に生産を開始した低屈折低分散ガラスFK01である。これはいわゆる異常分散ガラスといわれるガラスの走りで、従来の光学ガラスより色収差を軽減できる。発売と同時に、FK01を使ったカメラ用レンズや天体望遠鏡などの新製品が各社から続々と登場した。その後、より改良された異常分散ガラスが小原光学硝子や他社からも供給されるようになったが、FK01は現在でも定番の異常分散ガラスである。製品名は後にS-FPL51と改称されているが、現在でもFK01と呼ばれることが多い。
1985年(昭和60年)には、社名を株式会社オハラに変更した。
同社製ガラスは、いわゆる光学機器以外にも、半導体製造装置(ステッパー)など多くの分野に採用されている。光学ガラスの老舗であるショットを擁するカール・ツァイスにもステッパー用として供給している。ツァイスは自社ではステッパーを製造していないが、オランダASML製ステッパの光学系を担当しているためである。したがって、ステッパーの光学系に使用されるガラスは、大多数が日本製ということになる。また、ハードディスク基板では、日本のメーカーであるHOYA、日本板硝子、オハラの3社で、ほぼ100%を占めていた[5]が、2013年(平成25年)12月に撤退した。
同社の「ゼロ膨張ガラス」、「低膨張ガラス」は、世界に3つある超大型望遠鏡計画のうち、30メートル望遠鏡(TMT)、巨大マゼラン望遠鏡(GMT)の2つに採用された。このゼロ膨張ガラスは、長さ1メートルの場合、温度が1度変化しても0.00002ミリ以下しか変化しない [6]。
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