Loading AI tools
アメリカ合衆国のシンガー=ソングライター、ギタリスト、キーボーディスト (1949-2024) ウィキペディアから
エリック・カルメン(Eric Carmen、本名:Eric Howard Carmen、1949年8月11日 - 2024年3月)は、アメリカのミュージシャン、アメリカのシンガーソングライターの一人である。元祖パワー・ポップバンドのラズベリーズで活動後、ソロ歌手としてセルゲイ・ラフマニノフの作品を引用したバラードでヒットを飛ばした。
オハイオ州クリーブランドで生まれる。幼少の頃から音楽に親しみ、3歳の時にはすでにクリーブランド研究所に登録された中で最も若い学生だった。6歳の時、叔母やクリーブランド・シンフォニー・オーケストラのヴァイオリニストからレッスンを受けた。11歳ころまで自身の歌を書きながら、ピアノを傍らにメロディ・メーカーとしての基礎を固める。また、ビートルズとローリング・ストーンズの影響でロックンロールにも目覚め、高校時代にバンドを結成。
ジョンキャロル大学に入学し、サイラス・エリーというバンドを結成(エピック・レコードからシングルをリリース)。ギタリストのウォーリー・ブライソン、友人のデイヴ・スモーリーとジム・ボンファンティと共に新たにラズベリーズを結成する。
ラズベリーズはキャピトル・レコードと契約後、「ゴー・オール・ザ・ウェイ」 がビルボード・シングル・チャートの5位まで上昇、以降「明日を生きよう」「レッツ・プリテンド」「エクスタシー」などもヒットさせる。しかし[1]1974年、男性メンバー間の恋愛関係を原因に解散する。
1975年、アリスタ・レコードからソロ・デビュー・アルバム『サンライズ』をリリースした。収録曲からは、3作のシングルが上位にランクインすることとなる。
1976年、そのうちの「オール・バイ・マイセルフ」が全米2位の大ヒットを記録した[2]。セルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をモチーフにしたこの曲は、途中にピアノ協奏を挟んだ7分超の長尺曲。同年の「恋にノータッチ(Never Gonna Fall in Love Again)」もまた、ラフマニノフの交響曲第2番をモチーフにした良い出来の曲だった。
1978年には世界歌謡祭のゲストで来日。翌1979年には来日公演を行った。
その後、長く低迷したが、映画『フットルース』のために書き下ろしたマイク・レノ&アン・ウィルソンの「パラダイス〜愛のテーマ (Almost Paradise... (Love Theme From Footloose))」で、1984年に作曲家としてカムバック。1987年に再び映画『ダーティ・ダンシング』への書き下ろし曲「ハングリー・アイズ (Hungry Eyes)」が全米チャート入りして歌手としてもカムバックした。
1990年代の活動においては、1998年にアルバム『夢の面影』を日本限定でリリース(2000年にアメリカ盤『I Was Born to Love You』としてリリース)するのみに留まる。
2000年に入るとリンゴ・スターと「リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド」として共にツアーに出た。
2004年11月に、31年ぶりにラズベリーズがオリジナル・メンバーで再結成。ニューヨーク・デイリー・ニュースで、年間のベスト・コンサートにラズベリーズが選ばれた。
2013年12月に15年ぶりの新曲「Brand New Year」を無料ダウンロード配信でリリース。2014年にリリースされたベスト・アルバム『エッセンシャル・エリック・カルメン』にも収録された。
2024年3月、死去[3]。74歳没。3月11日に家族のエイミー・カーメンによる訃報がエリックのホームページに掲載された[4]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.