エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(Estadi Olímpic Lluís Companys)は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナのムンジュイックにある多目的スタジアムである。1992年に行われたバルセロナオリンピックのメインスタジアム。
エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス Estadi Olímpic Lluís Companys | |
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施設情報 | |
所在地 | スペイン バルセロナ |
位置 | 北緯41度21分53秒 東経2度09分20秒 |
起工 | 1927年 |
開場 | 1929年5月20日 |
修繕 | 1985年-1989年 |
所有者 | バルセロナ市議会 |
運用者 | Barcelona de Serveis Municipals |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 105m × 68m |
建設費 | 6,500万ペセタ |
設計者 | ペレ・ドメネク・イ・ロウラ |
ウェブサイト | estadioolimpic.cat |
旧称 | |
エスタディオ・デ・モンジュイック (1929年-1989年) エスタディオ・オリンピコ・デ・モンジュイック (1989年-2001年) | |
使用チーム、大会 | |
バルセロナ・ドラゴンズ (1991年-1992年、1995年-2002年) RCDエスパニョール (1997年-2009年) FCバルセロナ (2023年-) | |
収容人員 | |
60,713人 |
歴史
1929年のバルセロナ万国博覧会のために建設し、1936年の人民オリンピック会場とされる予定であった。1992年に開催されたバルセロナオリンピックのために1989年に改修した。当時の名称はエスタディ・オリンピック・デ・モンジュイック(Estadi Olímpic de Montjuïc)で、所在地の名をとり単に「モンジュイック」と呼ばれることも多い。会場近くのモンジュイック城でフランコ政権時代に処刑された、ジャナラリター・デ・カタルーニャ元代表リュイス・クンパニィスを記念し2001年に改名された。
かつては、1969年から1975年の奇数年で開催されたF1スペイングランプリでは当競技場がパドックとして使われたが、1975年のスペインGPでは、ドライバーによってはボイコットされた。
収容人数は56,000人で、かつてはサッカー・リーガ・エスパニョーラ所属のRCDエスパニョール、アメリカンフットボール・NFLヨーロッパのバルセロナ・ドラゴンズの本拠地であった。2010年の欧州陸上選手権を契機にトラックが茶から青に変更された。なおFCバルセロナは2023-24シーズンにおいてカンプ・ノウ改修工事の影響で当スタジアムを借りて試合を行う予定[1]。
開催された主なイベント
サッカー
- コパ・デル・レイ決勝 : 9回 (1930, 1933, 1934, 1939, 1944, 1945, 1946, 1957, 1996, 2000, 2004, 2006)
アメリカンフットボール
陸上
コンサート
ギャラリー
- メインスタンド
- メインスタンドの外観
- 外観1
- 外観2
- 内観1
- 内観2
- スタジアムの空撮1
- スタジアムの空撮2
- スタジアムの礎石
関連項目
脚注
外部リンク
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