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ウダイ・シング(Udai Singh, 1538年1月13日 - 1595年7月11日)は、北インドのラージャスターン地方、マールワール王国の君主(在位:1581年 - 1595年)。
1538年1月13日、マールワール王国の君主マールデーヴの息子として、ジョードプルで誕生した[1]。
1562年11月、父王マールデーヴが死去し、父王の寵妃から生まれた弟であるチャンドラセーンが兄たちを差し置いて王となった。だが、ウダイ・シングを含む兄たちはこれに反抗し、ムガル帝国が介入した結果、兄たちには国土の一部がジャーギールとして与えられた[2]。
その後、弟チャンドラセーンが帝国に反乱を起こしたため、1565年にジョードプルは占領、王国は併合された。なお、ウダイ・シングはジョードプル占領に協力している[1]。
1581年、弟チャンドラセーンの死後、1583年8月4日に皇帝アクバルより王国を返還され、正式に王となった[1][2]。
1586年1月21日、ムガル帝国と同盟関係を構築するため、ウダイ・シングは娘のジョーダー・バーイーをアクバルの長男サリームと結婚させた[1][2]。彼女はムスリム風の名前ビルキース・マカーニー・ベーグムを名乗り、のちに皇帝となるシャー・ジャハーンを生んだ[1]。
ウダイ・シングは自身の名に「シング」(獅子)の名をつけ、以降シングが歴代の王の名につけられた。また、皇帝アクバルや友人、自身の師から「太った王」を意味する「モタ・ラージャ」(Mota Raja)と呼ばれた[1]。
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