ウィリアム・セシル (第2代ソールズベリー伯)

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ウィリアム・セシル (第2代ソールズベリー伯)

第2代ソールズベリー伯爵ウィリアム・セシル: William Cecil, 2nd Earl of Salisbury, KG, PC1591年3月28日 - 1668年12月3日)は、イングランド政治家貴族

概要 生年月日, 没年月日 ...
第2代ソールズベリー伯爵
ウィリアム・セシル
William Cecil
2nd Earl of Salisbury
Thumb
ジョージ・ジェルドルップ英語版
生年月日 1591年3月28日
没年月日 (1668-12-03) 1668年12月3日(77歳没)
出身校 ケンブリッジ大学セント・ジョン・カレッジ英語版オックスフォード大学
称号 第2代ソールズベリー伯爵ガーター勲章勲爵士(KG)、バス勲章勲爵士(KB)、枢密顧問官(PC)
配偶者 キャサリン(旧姓ハワード)
親族 初代バーリー男爵(祖父)
初代ソールズベリー伯爵(父)
初代エクセター伯爵(伯父)
第3代ソールズベリー侯爵(雲孫)

庶民院議員
選挙区 ウェイマス=メルクーム選挙区英語版
キングス・リン選挙区英語版
キングス・リン選挙区
在任期間 1610年 - 1611年
1649年 - 1653年
1656年 - 1658年

貴族院議員
在任期間 1612年5月24日 - 1649年
1660年 - 1668年12月3日
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清教徒革命イングランド内戦)後の共和政で政界に残留した数少ない貴族の一人である。

経歴

1591年3月28日、初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルとその妻エリザベス(第10代コバム男爵英語版ウィリアム・ブルック英語版の娘)の長男として誕生[1][2]

シェアボーン・スクール英語版を経てケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ英語版オックスフォード大学へ進学し、1605年に両大学からマスター・オブ・アーツ英語版の学位を取得[1][2]

1610年から1611年にかけてウェイマス=メルクーム選挙区英語版から選出されて庶民院議員を務める[1][2]

1612年5月24日に父の死去により第2代ソールズベリー伯爵位を継承し[1]貴族院議員に列した。

1626年枢密顧問官 (PC) に列する[1]

1643年にはウェストミンスター会議の議員の一人となる[2]

清教徒革命後のイングランド共和国で貴族院は廃止されたが、彼は1649年から1653年ランプ議会1656年から1658年第二議会にかけてキングス・リン選挙区英語版から当選して庶民院議員を務めた。さらに1649年から1651年1652年から1653年にかけて王権の継承機関国務会議のメンバーとなる[1]。共和国政界で活躍した貴族はソールズベリー伯を含めて3人だけである。その一人は初代エスクリックのハワード男爵英語版エドワード・ハワード英語版であるが、彼はソールズベリー伯の義兄弟にあたり、ソールズベリー伯の動きもそれと関係している可能性がある[3]

王政復古後の1668年12月3日に死去した[2]。爵位は孫のジェイムズが継承した。

栄典

爵位

勲位・名誉職など

家族

1608年に初代サフォーク伯トマス・ハワードの娘キャサリンと結婚し、彼女との間に7男5女を儲けた。次男クランボーン子爵(儀礼称号)チャールズ・セシル(1619-1660)の長男ジェイムズ・セシル(1648-1683)が爵位を継承する[4]

脚注

参考文献

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